ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『惡の華』のおしまいによせて

押見修造の漫画作品である『惡の華』が、この十一巻をもって完結した。最初の単行本から一貫して「この漫画を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げます。」とカバーに記しつづけた作者が紡いだ物語。

その結末にはなにが描かれていたのか。

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『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』けれど

ある雨の日に、かわいい系のおじさんであるところの僕が、ダンボール箱に入れられて、道端に捨てられていたとしよう。通りかかったあなたは、僕をひと目見て拾いたいという衝動に駆られるが、おじさんを飼ってはいけないアパートに住んでいるので、近くのコンビニで急ぎ買った牛乳と、自分が差していた傘だけ置いて、そこを足早に立ち去るのだ。

僕はさみしさに包まれる。「置いて行かれた」というさみしさに。拾わないならほかになにもされたくないから、差された傘を打ち捨て、牛乳には手をつけない。そして翌日、また同じ道を通ったあなたも、打ち捨てられた傘と未開封の牛乳を見て、さみしさに包まれる。「私の愛が届いていない」というさみしさに。

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『ちーちゃんはちょっと足りない』で溢れだしたもの

その友人の旭の言を借りれば、「言葉や考えが足りない」ちーちゃんこと南山千恵、中学2年生。社会科のテストで23点をたたき出して歓喜のダンスを踊ったり、日曜朝アニメのグッズのガチャガチャがやりたくて、やっと覚えた九九(間違えてる)を披露しながら姉に200円をねだったり。

もうひとりの友人である小林ナツは、「フリーソフトをインストール」と聞いて「首に巻くストールとパソコンにどんな関係が?」と返したりして、またまた旭の言を借りれば、「千恵の陰に隠れてけっこういかつい」。

学業や恋に悩みながらも笑い合いながら過ぎていく、そんな女子中学生3人のほのぼのとした日常が綴られる――と思いきや。

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『ノストラダムス・ラブ』イズ・オーヴァー

1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってきて、地球は滅亡する――。

幼少時からノストラダムスの大予言にふれて育ち、「あたしが19歳になったら、せかいがおわる。しぬ。」と思い込んでいる村山桜は、1999年、大学2年生の夏休みをむかえていた。世界の終りまであと10日足らずとなった日、桜の住むアパートの隣人である森に交際を申し込まれ、「世界の終わりを一緒に迎える人」として、彼と付き合うことになる。

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『誰も懲りない』と月見バーガーについての話


誰も懲りない

誰も懲りない

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たとえば「月見バーガーの季節」のように、日々を生活していくなかで、その到来を待ち望んでいるものがいくつかあります。「中村珍のストーリー漫画」も、そのうちのひとつでありまして。というわけで、先ごろ単行本が発売された『誰も懲りない』。

この作品には、ある家族のことが描かれています。娘の登志子を語り手として、両親と、弟と、両親の祖父母のことが描かれています。第1話の3コマ目、そこに描かれた父親の「にこ」という口角と、この文脈での「そんなの当たり前だな」という台詞で、僕はこれだけでもう、ああ、中村珍先生のストーリー漫画だと、小躍りを始めてしまうわけですが。

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