ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『宝石の国』に生きる彼らの価値は

6度訪れた流星により、6度欠け6個の月を産み痩せ衰えた星。その海のなかで、長い時をかけ結実した宝石生命体28人。

彼らを装飾品とするために幾度となく飛来する月人(つきじん)との戦いに臨み、それぞれがなにがしかの役割を担い補い合うなか、ひときわ脆く不器用ゆえに、月人と戦うことを望みながらも、いまだなにも背負っていなかったフォスに、博物誌を編むという役割が与えられた――。

 

市川春子の新作『宝石の国』。動線や擬音を極力排除して描かれた宝石たちの戦う日々が、この上もなく美しい。彼らの年齢は定かではないけれど、その風貌と、自分という存在に対する不安を取り除くための価値を求めるその姿から、人で言う思春期のころが思い起こされて、彼らはいっそう眩い。

そして各話のトビラと最後のページはコマを割らない1枚の大きな絵として描かれていて、だから僕は彼らのことを、あたかもショーケースに入った宝石を眺めるように読んでいる。その目はきっと、月人のそれに似ている。その色や輝きや大きさによって彼らを選び別け、あの子がいいこの子がいいという見方はきっと、その輝きの保時だけが優先されて変わることを許されない装飾品として彼らを見なす、月人のそれに似ている。

そういう目で読んでいたから、同じダイヤモンド属のボルツのタフさに嫉妬まじりに憧れて、「変わりたいのは僕」と悩むダイヤの言葉に息を呑んだし、姿を変えたフォスを相手に「幸せ?」とひとりごちるダイヤに涙した。

そういう目で読んでいたから、自身から無尽蔵に湧き出る銀色の毒液を嘆くシンシャに息を呑んだし、そのシンシャに対する「君にしか出来ない仕事を僕が必ず見つけてみせるから!」というフォスの言葉に涙した。

「変化に焦がれる宝石」というモチーフの、なんと儚く、なんと美しいことか。

 

不死ゆえになにごとも諦めることを許されない宝石たちの戦いのゆくえ、飛来する月人の正体などが、フォスの編む博物誌とともに明らかになっていくのだろう。「自然のすべてを記録して分類するもの」としての博物誌を編む仕事に「正直さが必要だ」とフォスが選ばれたのは、もしかしたら、目を覆いたくなるような事実を記さなければならないから?

 

市川春子は偏愛の作家だ。彼女の描く偏った愛が普遍性をもって突き刺さるのは、この世にある全ての愛が偏愛だからだ。

これまでに描かれた短編で僕に刺さった短いけれど太い針が、初めての長編となる『宝石の国』で、細いけれど長い針に姿を変えて、きっとまた僕に刺さる。