ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『惡の華』を摘んだ右手は誰のもの?

惡の華(9) (講談社コミックス)

惡の華(9) (講談社コミックス)

 

7巻から始まった高校編も3冊目に入り、この9巻で、春日は常磐さんとの蜜月の日々を手に入れました。しかし、恋で満たされ輝きだした世界や、溢れでる優しさの影に、僕は不穏を感じています。

 

3年ぶりに再会した佐伯さんから、「常盤さんを仲村さんの代わりにしている」ととがめられた春日は、自問自答します。今はもういない「あのときの」仲村さんと、本が好きなことをまわりに隠してひとりで悩んでいる常盤さんと、彼女たちに依存する自分自身を、「幽霊」を介して重ねて、「一生幽霊の世界で生きていくなんてできない」という自問自答。

春日は、その自問自答を拠りどころに「僕と生きてくれ」と常盤さんに告白し、戸惑う彼女にこう続けます。「僕がきみの幽霊を殺す 下りよう この線路から」。

この場面を読んで、僕はあるシーンを思い出します。

中学生の春日と仲村さんが、「向こう側」を目指して登った山から降ろされて一ヶ月後、佐伯さんと別れた春日は、その夜に夢を見ます。惡の華が咲き乱れる草原で、仲村さんに「信じてたのに 向こう側へついて来るって」と泣かれる夢。

春日は、その夢を拠りどころに作文を書き、走って逃げる仲村さんを追いかけながら読み上げます。「僕は仲村さんを傷つけてしまった」、「僕は自分のことしか考えたことなかった」、「仲村さんを一人にはしないッ!!!」。

このふたつのシーンを比べて、どちらにしても、あのころの仲村さんなら「一生じぶんでじぶんのうっとりなでまわしてろクズ!!!」と罵るのではないか、春日はまた同じことを繰り返しているのではないかと、そう思いました。今回は、春日の差し出した手は常盤さんに握りかえされたのだけど。

その手を見て、また僕はあるシーンを思い出します。

深夜の中学校の教室に惡の華を咲かせた帰り道、仲村さんの左手を握っていたのは春日の右手でした。夏祭りの夜、灯油をかぶりライターを持つ仲村さんの左手を握っていたのは春日の右手でした。一方で、常磐さんの隣に立つとき、春日は彼女の右側を選ぶから、常磐さんの右手を握るのは春日の左手なのです。

 

9巻では、各話の終わりに手が描かれています。春日の、何かを拒むように拳を握った右手。「あのときの」仲村さんの、ひかえめに差し出された左手。春日と常盤さんの、お互いに差し伸べられた彼の左手と彼女の右手。誰かの、黒い液体が滴る右手。

左手で常盤さんの手をとりながらも、惡の華を握りつぶした春日の右手は、いまだ黒く染まったままで、仲村さんのために空いているのではないかという予感。それが、僕の不穏の誘因です。春日は思春期の終わりを見つけることができるのでしょうか。できたとして、それをどちらの手で掴みとるのでしょうか。

 

9巻のラスト、倒れた祖父を見舞うために、春日はあの町へ向かおうとしています。「この傷が治っても傷跡はなくならないから」と、あの頃と向きあおうとしています。本の虫だった彼なら、きっとこの言葉を知っているでしょう。「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」。

惡の華を摘もうとするとき、惡の華もまたこちらを窺っているのです。