ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『ぼくらのゆくえは』という関係性

29歳の朝海雪夫は漫画家だが、初の連載作品が打ち切られて以来、ネームを通すことができず、自分がなにを描きたかったのかも見失い、この2年間はペンも持たずにコンビニのアルバイトで生活している。

そんな朝海の暮らすアパートの隣室に引っ越してきた、18歳の花山入花。彼女は、大学の仲間たちと運営する劇団の初公演への出演に向け、大はりきりだった。

その公演で、入花は失態をさらす。「本番で成功したことがない」という入花は、「自分を追い込めば何かが変わるかも」という想いで東京に出てきたのだが、それでも失敗してしまった。

「お芝居するの、きらいになりそう。どうしたらいいですか?」と泣きじゃくる入花に、朝海は自分のことを棚に上げて、それでも応援しないわけがないと、俺が見捨てるわけがないと、ある答えを口にする。「だってこいつは俺」だから。そして、朝海も担当編集者に久々にネームを送り、「これからがんばります」と伝えるのだった。

 

この『ぼくらのゆくえは』に続けて、朝海の担当編集者である中野井駿一のストーリーが、アナザーサイドとして描かれている。

連載を持っていたころの朝海のファンだった中野井は、自分がなにをしても漫画を描こうとしない朝海によって、「担当」としてのアイデンティティを揺さぶられ、「必死になるから迷うのだ」と、作家に対してムキにならずに自然体で気だけを遣うというやり方を見つけ、それを「成長」と呼んで日々をやり過ごしていた。

しかし、ある漫画家から言われた「僕に、僕の漫画に本気になってくれてますか?」という言葉に、「成長」を蓑にして自分が逃げていたことに思いあたる。そして、朝海がネームを送り「がんばります」と宣言する場面が、中野井の視点で再び描かれる。このシーンで僕が揺さぶられたのは、朝海にとっての入花に対するそれと同じように、中野井の朝海に対する「だって、こいつは俺」だからという想いを受けとったからだ。

 

僕はあなたではないし、あなたも僕ではない。あなたは僕だなんてと言われるのは嫌だろうし、僕はあなただなんてと言われるのは、僕だって嫌だ。『ぼくらのゆくえは』で描かれる、18歳の女子大生に29歳の漫画家が「こいつは俺」なんていうのは下手したら通報されそうな勢いだけれど、でも仕方がない。

あの時の入花は朝海がいなければ存在しないし、逆もまた然りだ。あの時の中野井も朝海がいなければ存在しないし、逆もまた、然りだ。僕はあなたではないけれど、あなたとの関係性のなかにしか僕は存在し得ないし、逆も、また然りなのだ。

入花のゆくえは朝海が知っているし、朝海のゆくえは入花が知っている。中野井も朝海のゆくえを知っているし、中野井のゆくえは朝海が知っている。「ぼくらのゆくえ」は関係性のなかにある。

だから、この物語を通じて彼らの間に生まれた関係性が維持される限りは、彼らはお互いのゆくえを知っている。ぼくらのゆくえはあなたがしっているし、あなたのゆくえはぼくらがしっているのだ。