ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

このマンガがすごい好き!2013

 

2013年も残りわずかとなりました。今年の漫画を振り返ってまいりましょう。

今年中に1巻が刊行されたタイトルの中から、とくに印象に残った作品を10タイトルご紹介です。掲載順は、発売日順。

 

『MAMA』/売野機子

MAMA 1 (BUNCH COMICS)

MAMA 1 (BUNCH COMICS)

 

「この世界には 飛び抜けて歌声の美しい男の子が生まれることがある ”天使”が生まれたと言って大騒ぎする でもじっさい”ほんとうの天使”になれるのは 一握りだ ただ上手いだけの少年はいずれ変声期を迎えれば 他の少年と同様に成長して青年になる ”天使”はその声の美しさが頂点に達したとき 命を失いほんとうの天使になる」。天使候補の少年たちが集い歌う寄宿学校を舞台に、彼らの成長が、確執が、過去が、傷が描かれる……。

あらかじめ失われることが決まっているもの、たとえば命だったり、たとえば少年の高い声だったり。人は、そこに特別な意味を見出そうとする。『MAMA』の少年たち、そして大人たちは、奇跡の歌声と同時に獲得されるその存在の完了、つまり死によって完成する”天使”に意味を託す。成長期真っ只中の少年にたちにかけられる無変化という呪い。それが彼らを拗らせていくであろうことは、想像にかたくない。少年たちの求めるのものは、生なのか、死なのか。”天使”になることは、死なのか、生なのか。目が離せない。

「ギムナジウム」という単語に反応してしまう人も。そうでない人も。必読。

 

『三文未来の家庭訪問』/庄司創

三文未来の家庭訪問 (アフタヌーンKC)

三文未来の家庭訪問 (アフタヌーンKC)

 

遺伝子デザインにより、子供を産むことができる体を持った男の子が暮らす未来を描く表題作ほか、死に瀕した男が宇宙人のつくった”人生完結センター”で地獄を体験することになる「辺獄にて」、カンブリア紀の海の底を舞台にそこに暮らす生物の知と信仰を描く「パンサラッサ連れ行く」の3編が収録されたSF短編集。

「明るい未来」という、よく聞く言葉がある。誰も見ることができない真っ暗な未来を、照らすための言葉だ。どうして照らすのか。真っ暗は怖いからだ。暗くて怖い未来を照らすため、知識だったり神様だったりを信仰する。けれど、それでも未来は暗いから、ときに知や神も苦しみに変わり、怖くなる。それでも向かわなければならない未来へ臨むときに足元を照らすのは、「辺獄にて」における鹿毛と日滝の縁や、「三文未来の家庭訪問」におけるリタとマキの会話や、「パンサラッサ連れ行く」における頭目と聖の足跡だ。真っ暗で怖い。でも君がとなりにいれば、明るくなりはしないけれど、「怖いね、真っ暗だね」と話すことができる。真っ暗な中を、怖い怖いと呟きながら、共に手探りで歩くのだ。『三文未来の家庭訪問』は、そうやって僕らの足元を照らす。

遠い遠い世界を描くことで、今ここという立ち位置を照らしだしてくれる。それがSFというジャンルが僕にもたらす、他では得られない作用と効能だ(※個人の感想です)。

 

『アリスと蔵六』/今井哲也

アリスと蔵六 1 (リュウコミックス)

アリスと蔵六 1 (リュウコミックス)

 

自分の想像したものをなんでも一つだけ現実にしてしまうことができる、”トランプ”という特殊な能力を持った特異能力者たち。”アリスの夢”と呼ばれる彼らを管理する研究所から、外になにがあるのか見たいからと、逃げ出した少女・紗名。彼女は「想像したものをすべて現実に出現させることができる」という並はずれた能力の持ち主だった。けれど、幼い上に世間のことをなにも知らない紗名。そんな彼女が「由緒正しい日本の頑固爺」である蔵六と出会い……。

超能力が発動する様子の表現だとか、少女だとか、物体が飛んだり跳ねたりする表現だとか、少女だとか、それから少女だとか、今井哲也が描くことで魅力的になる要素の詰まった本作は、眺めているだけでも楽しい。「曲がったことが大嫌い」な蔵六は、そういった超能力やら少女やら様々な思惑やらが飛びかうなかを、自身の、主に倫理的な信念に基づいて、真っ直ぐに進む。蔵六は紗名を安心させ、僕を感動させるけれど、この作品では、そういう安心や感動と引き換えに失われるものも描かれていくのだろうと、なんとなく思っている。誰かにとっての安心や感動は、他の誰かにとっての不安や失望なのだ。「曲がったことが大嫌い」な蔵六は、きっとそれらを無視しない。

魅力的なファンタジーとしての『アリスと蔵六』に没頭しつつ、そういう僕の頭(没頭だけに)にもゲンコツが振り下ろされるのを、怯えながら、少し楽しみに待っている。

(関連記事:『アリスと蔵六』について思っていること - ホンダナノスキマ

 

『オンノジ』/施川ユウキ

オンノジ (ヤングチャンピオン・コミックス) (ヤングチャンピオンコミックス)

オンノジ (ヤングチャンピオン・コミックス) (ヤングチャンピオンコミックス)

 

突然、世界から人がいなくなり、ひとりきりになった少女ミヤコ。ある日、彼女は言葉を話すフラミンゴと出会う。以前は中学生男子だったという彼をミヤコはオンノジと名づけ、ふたりきりとなった世界で生活を共にし始める。不穏な世界で愉快に暮らすふたり描いた4コマ漫画。

誰もいない世界にひとり残された人間というは、いないのと同じだ。その存在を確認するものがないからだ。すでに終わってしまった世界での暮らしというは、死と同じだ。なにも変わらないからだ。ジャンルとしてはギャグ漫画である本作だが、そういう世界で始めるために、幾度も終わりを想像するふたりに、そのたびに泣かされてしまった。悲しいほど愉快で、愉快なほど悲しい。

最終話、ふたりはある奇跡を目の当たりにし、その世界は変わる。1ページ目から淡々と同じペースで変わらない世界を描くこの漫画は、最終ページで、読者にもひと目でそれと分かるように、文字通り世界が変わる。「この最終ページがすごい! 2013」第1位。

(関連記事:『オンノジ』という世界の歩き方 - ホンダナノスキマ

 

『宝石の国』/市川春子

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)

 

6度訪れた流星により、6度欠け6個の月を産み痩せ衰えた星。その海のなかで、長い時をかけ結実した宝石生命体28人。彼らを装飾品とするために幾度となく飛来する月人(つきじん)との戦いに臨む日々。それぞれがなにがしかの役割を担い補い合うなか、ひときわ脆く不器用ゆえに、月人と戦うことを望みながらもいまだなにも背負っていなかったフォスに博物誌を編むという役割が与えられ……。

動線や擬音を極力排除して描かれた宝石たちの戦う日々が、この上もなく美しい。彼らの年齢は定かではないけれど、その風貌と、自分という存在に対する不安を取り除くための価値を求めるその姿から、人で言う思春期のころが思い起こされて、彼らはいっそう眩い。僕はこの作品を、ショーケースに入った宝石を眺めるように読んでいる。その目はきっと、月人のそれに似ている。その色や輝きや大きさによって彼らを選び別け、あの子がいいこの子がいいという見方はきっと、その輝きの保時だけが優先されて変わることを許されない装飾品として彼らを見なす、月人のそれに似ている。

「変化に焦がれる宝石」という、儚くも美しいモチーフで描かれるこの作品の結末は、そういう僕に、どんな衝撃をもたらすだろう。

(関連記事:『宝石の国』に暮らす儚くも美しいの価値は - ホンダナノスキマ

 

『惑星9の休日』/町田洋

惑星9の休日

惑星9の休日

 

永久影のなかで凍りついたまま動かない美しい少女に思いを馳せる男を描いた表題作のほか、映画の上映フィルムの保管倉庫で起こった事件(「UTOPIA」)、月のクラックに落下し死を待つ男が遭遇した粘菌生物とのつながり(「衛星の夜」)、生真面目な科学者の恋(「それはどこかへ行った」)など、辺境の小さな星”惑星9”に暮らす人々を描く、全8編が収録された連作短編集。

世の中には見つけたいものや知りたいことがたくさんたくさんあって、たとえば漫画なら、凝った構図やコマ割りや、複雑な陰影や、念入りに引かれた多くの線でそれを描き切ろうとし、僕もそれを求めてしまう。しかし、そういう描かれ方は、ときに表現したかったこと自体を覆い隠してしまうことがある。『惑星9の休日』は、シンプルな構図とコマ割りで、メリハリの効いた陰影で、幅の変わらないまっすぐな細い線で描かれている。この作品には、雲だとか星だとか一瞬の景色だとかつながりだとか恋だとか時間だとか、僕の見つけたいことや知りたいことがたくさん詰まっていて、ミニマムな描き方ゆえに、それらがひときわ輝いている。

「この瞬間」を、シンプルな手法で紙面に深々と刻みつけた傑作。

 

『僕は問題ありません』/宮崎夏次系

僕は問題ありません (モーニング KC)

僕は問題ありません (モーニング KC)

 

人形に話しかけるという日常を妻から問題視され、人形をすべて焼かれてしまったが、娘の行動と言葉に救われる夫。車ではねて死なせてしまった人間の人生やつながりの希薄さにとまどうが、その妹の流した涙に安堵する男。父親の書いた本を奪った人物の言葉に心弛む男……。「問題」を抱える彼らと彼らのまわりの人々による、感情の物語。

宮崎夏次系の前作『変身のニュース』が、社会からの疎外感にさいなまれている人間が、世界の生みだす偶然によってその存在を肯定されるという作品集だとしたら、『僕は問題ありません』とは、人々からの疎外感にさいなまれている人間が、人によってその存在を肯定されるという作品集だ。

『変身のニュース』という助走から『僕は問題ありません』で飛翔を遂げた宮崎夏次系が、次回作でどんな景色を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

(関連記事:『僕は問題ありません』の読み方に関するご提案 - ホンダナノスキマ

 

『アキンボー』/下吉田本郷

アキンボー(1) (モーニング KC)

アキンボー(1) (モーニング KC)

 

妻に先立たれ、飼い犬のフジオとふたりきりで暮らすおじいさん。誰かと愛し愛されて生きていたはずのあのころが、遠のいて、うすらいで、あらゆる感覚を鈍化させながら歳を重ねていた。ある日、フジオと海岸を散歩中、砂のなかに人魚の赤ちゃんを見つける。おじいさんはそれを「アキちゃん」と名づけ、育てることに。乾燥を嫌うアキちゃんを水道水に浸してみたり(失神)、具合が悪そうだと見れば体温計で熱を計ってみたり(平熱)。悪戦苦闘するおじいさんは、「人魚の育て方」を自らノートに記し始めて……。

髪の毛や眉毛やまつ毛だったり、指の節だったり鼻の穴だったり、そういう部分に、下吉田本郷は執拗に線を入れる。人間味とでもいうべきものが宿る場所を知っているからだ。そういう描かれ方をしたアキちゃんは、すごく実際的に、ナチュラルにかわいい。自身から溢れる愛情の注ぎ先であった妻を失い、そうしなければ生きていられないから、あらゆる感覚を鈍化させてきたおじいさんが、アキちゃんと暮らすことによって、再び自分のなかを愛情で満たす。

下吉田本郷にしか描けない、かわいくて切なくてユーモラスな愛の形。

 

『林檎の木を植える』/志村志保子

林檎の木を植える (マーガレットコミックス)

林檎の木を植える (マーガレットコミックス)

 

高校3年の夏休みに、幼馴染の真由果が死んだ。「皆に話したいことがあるんだ」と言い残し、普段は乗らないバスに乗り、事故にあって死んだ。彼女の幼馴染であるリカ、聖奈、みいの3人と、みいが借りたアパートの隣人である槙が中心となり、真由果を巡る真実が明かされていく。謎を残して死んだ真由果だが、みいのアパートの隣人・槙は、なぜか彼女のことを知っているらしい。しかし幼馴染の3人は仲がよかった一方で、それぞれが真由果に対する後ろめたさを持っていて……。

全6話で構成されたこの作品は、彼女たちの真由果に対する後ろめたさのわけ、さらには槙と友人との確執を描くのに5話を要している。端的に言って重い。しかし、その重圧がバネになり、物語は最終話で見事な解放を迎える。自分の学生時代、自らの意志とは無関係に変わっていく体、変わっていくこと求められる心を抱え、その変化に対しての評価がすなわち自分の評価のすべてだと思っていた。だから変化に対するエネルギーは惜しみなく注ぐ一方で、「恵まれていた現状」を維持するためのそれを惜しんだりしていた。そういう当時の自分が感じた後ろめたさも重ねて、真由果の真実は僕の胸に響く。

短編の名手である志村志保子の初長編は、その長さを活かしたすばらしい作品だった。

(関連記事:『林檎の木を植える』のは明日も今日であるように - ホンダナノスキマ

 

『ラタキアの魔女 笠辺哲短編集』/笠辺哲

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集 (ジャンプコミックス)

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集 (ジャンプコミックス)

 

魔女と噂される女性のもとへ売られた兄弟を描く表題作「ラタキアの魔女」のほか、初めての旅行で様々な災難に見舞われるカップルを描いた「トラベルライター」、地球連邦軍がスマホ付きのアサルトライフルでツイッターしながら他の惑星を侵略していく「宇宙戦争」、旅行中の貧乏学生が命がけのバイトに挑む「ごうつくばりの町とコンニャク岩」など全7編が収録された短編集。

短編の魅力のひとつはその切れ味だと思っていて、だから短編を読むときは、その世界に飛び込み、細かいことは気にせずに結末へ向けて一気に落下するようにしている。鋭い結末が僕に突き刺さるのが楽しいからだ。『ラタキアの魔女』も短編集であるから同じように飛び込んでみたところ、なんというか、結末へ向けてベルトコンベアーで運ばれていくような印象だった。読みやすいと言い換えてもいいが、そうして迎えた結末は、突き刺さりはしなかったけれど、なにか引っかかる。喉の奥に留まる小骨のように、僕に引っかかり続ける。それをなんとか飲み込もうと、何度も何度も読み返している。なんだかわかりにくい言い方になってしまった気もするけれど、笠辺哲作品の中毒性が伝わるだろうか。もっと、もっと読みたい。

『惑星9の休日』もそうだが、この『ラタキアの魔女』のように、断ち切られたり、ナナメになっていたり、重なっていたりしないスーパーオーソドックスなコマ割りで描かれた漫画の新作も、もっと読みたい。

 

以上、10作品でした。

こうやって1年間を振り返ると、その年に考えていたことが丸出しになってしまって恥ずかしいですね。たとえば昨年の『このマンガがすごい好き!2012』を見てみると、「家族」について考えていたことが丸出しになっています。何かあったんですかね。知ったこっちゃないですね。そして今年はどうみてもSFですね。僕がSFを読むのは「終わりと始まり」について考えいるときと相場が決まっています。何かあったんですかね。知ったこっちゃないですね。

ということで、来年も素敵なマンガに出会えますように。