ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『バベルの図書館』に記されていない言葉を探せ


バベルの図書館

年若いころ、多分にもれず「ここではないどこか」に焦がれて、ひとつ気づいたことがある。「ここ」を見る自身の瞳に反射した鏡像が、「どこか」へ抜け出すための扉なのだ。

しかし、それを自分で見ることはできない。ただ、目を閉じて眠ったときにだけ現れるイメージが、唯一目にすることのできる「ここではないどこか」だ。人はそれを、夢と呼ぶ。

 

紙にふれるだけで、そこに書かれている言葉をすべて読むことができるという能力を持つ少年、渡瀬量。彼は、学校の成績に象徴されるような、紙の上に書いてあることが世界のすべててみたいな社会に、少しだけ失望を感じていた。

童話と空想を愛する少女、相馬かなえ。彼女は、子供のころに「見た」という天使をきっかけに、嘘の世界としての「ここ」とは違う、ほんとうの世界への抜け道を探し続けていた。

ある日、渡瀬量が相馬かなえのそれと一言一句まで同じ作文を書いてしまったところから、つばなの新作である『バベルの図書館』は幕を開ける。

 

この作品では、コマいっぱいを使って誰かの目を描くという構図がいくたびも登場する。その瞳には、様々なものが映りこんでいる。相馬かなえの瞳に映る渡瀬量の顔。渡瀬量の瞳に映る相馬かなえの言葉。真っ白なキャンバス。窓の外の風景。飛ぶ鳥。テレビ画面。空。木々。

あとがきで作者が書いているように、世界中の人たちが、毎日まいにち取捨選択を繰り返している。なにかを選び、なにかを捨てて、そうやって世界を、自分を、生活を形作っている。

「ここではないどこか」とは、そのときに選ばれなかった世界のことだ。そして、コマいっぱいに描かれた瞳に映る鏡像は、取捨選択の対象であり、瞬間であり、だからそれが「ここではないどこか」への扉なのだが、その自身の瞳に映る鏡像を、自分で見ることはできない。

できるとすれば、誰かの瞳に映ったそれだ。

 

第9話において、相馬かなえが渡瀬量に突きたてたのは、天使の国を目指す彼女にとってのジャマ者である渡瀬量の、彼の瞳に映る扉を、天使のいる世界を捨てさせようとする彼の目を、無理矢理に閉じようとする刃だ。

同じように、最終話において少女が少年に交わしたのは、少年を扉とするため、自分の瞳に映る扉を閉じようとするくちづけだ。

『バベルの図書館』は、瞳を介して「選ばれなかった世界」を掬いあげる。どちらが「ここ」なのかは問題ではない。ただ目を閉じれば、「ここではないどこか」がまぶたの裏側に立ち現れる。人は、それを夢と呼ぶ。

 

「言葉はパターンで、文字は記号の組み合わせでしかない。文字の時間はいつも止まっている」という見地から、今までに書かれたすべての言葉、これから書かれるすべての言葉を納めるとされる「バベルの図書館」は、渡瀬量の「紙の上に書いてあることが世界の全てみたいな社会」という失望の表象だ。そこから逃れるために、あるいはそこに留まるために、自分の、あるいは誰かの目を閉じる。

最終話、少女は夢について話す。

何を手に入れたって何か素敵なことが起きたって…

目が覚めたら何もかも全部消えてなくなっちゃうもの

(中略)

あ! でもよく考えてみると…

言葉だけは夢の中から現実に持って来られるんだよね

万能だよね! 言葉ってさ!

別の世界から宇宙の何処へでも行き来できる

唯一のものかもしれないよね

 

(つばな『バベルの図書館』 P182-185)

目を閉じたときにだけ現れる「ここではないどこか」から、言葉だけは持ってくることができる。それは、「ここ」にある「バベルの図書館」には納められていない言葉だ。ラストシーンで少年が少女にそうしたように、それを誰かに伝えるとき、僕たちの時間が動き出す。堅牢な「ここ」が、「どこか」に変わる。