ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『さんかく窓の外側は夜』もふけて

「見ざる聞かざる言わざる」という言葉がある。「自分を惑わすようなもの、あるいは他人の欠点などは、見ない聞かない言わないのが賢明である」という意味で使われるのが一般的なようだ。

僕はこの言葉に対し、もっともだと思う一方で「臭いものに蓋」に似た印象も持っている。自分を惑わすようなもの、あるいは他人の欠点であっても、ときには向き合うことがあってもいいと思うからだ。

  

ということで、ヤマシタトモコの新刊『さんかく窓の外側は夜』の話。

書店員の三角(みかど)には、誰にも言っていない秘密があった。それは「不気味なモノ」、おそらくは幽霊などと呼ばれる類のモノが見えてしまう体質のことだ。ある日、その体質を才能と呼ぶ除霊師の冷川(ひやかわ)と出会い、三角は半ば強引に助手として採用される。事故物件での除霊、ポルターガイスト現象の解明などを手伝ううちに、ある殺人事件に行きあたる。

少し情緒に欠けるような態度ともの言いで、なにごとにも落着きはらった様子で臨む冷川と、霊の存在や除霊の仕事を嫌がりながらも抗えない三角のやりとりは、見ていて実に楽しい。そして、ジャンルとしてはホラーに分類されるであろうこの作品のおもしろいところは、三角が恐怖に対面した際に「怖い」と口に出すことだ。正確に記せば「やだやだやだ超怖いもん」「むっむっ無理無理気配がすげー超怖すぎこれ無理」のように。

 

漫画に限らず、ホラー作品では登場人物が怖いシーンで(悲鳴くらいはあげるかもしれないが)いちいち「怖い」とは言わないことが多い。それが怖いシーンであること、登場人物が怖がっているであろうことは、見ていればわかるからだ。その都度「怖い怖い」と表明されるのは、たとえばテレビのバラエティ番組によくある過剰に増幅された笑い声のように、聞かされるほうは聞くほどに醒めてしまう。しかし、三角の「怖い」はそうならない。

「不気味なモノ」は、三角をはじめとする、いわゆる霊感のある人にしか見えていない。除霊師である冷川も、三角にふれ、彼を媒体とすることによってモノがよりはっきり見えるようになるという描写もある。ゆえに読者である僕は、作中に描かれたモノにもちろんぞくりとするのだが、それは三角がいなければ見えないモノであることを知っている。三角の目を、つまりさんかく窓を通して覗き見しているだけであることを知っている。

三角とモノは窓を隔てた別の世界の存在であり、だからそれを直接見て恐怖している三角の愛嬌のある反応が、僕のモノに対する恐怖を妨げたりはしないのだ。部屋のなかでコタツにあたっているからといって、窓の外に降る雪の冷ややかさが奪われたりしないように。

 

さて、除霊師の助手としての初仕事の折り、冷川に「怖ければ目を閉じて」と言われた三角は、「見えるものを見ないほうが怖い」と返し、そういう彼を、冷川は「きみ最高」と評価した。僕はこのシーンを根拠に、今後の展開において目を背けたくなるような「夜」が現れるのだとしても、そこから目を逸らさずに向かい合うというのが、この作品の基本的なトーンだろうと思っている。

しかし、当然だけれど、こちらから見えるということは、あちらからも見えるのだ。夜を見ることのできる三角が、夜に取りこまれてしまうことを危惧しているなんて言ったら、冷川に「ありきたりな憂いですね?」と笑われてしまうだろうか。

さらに読み進むうちに、三角がモノを「見る」才能に長けているように、冷川はモノの声を「聞く」才能に長けているらしいことがわかる。そして後半に登場するある人物は、呪いを扱う。つまり「言う」才能に長けている。作品タイトルの「さんかく」は、もちろん三角からきているのだと思うけれど、この三人の関係性もほのめかしているのかもしれない。1巻は、三角がそのある人物に惹かれているような描写をもって、その幕を閉じる。

 

今冬発売(今2月ですけど……)とされている2巻を早くも切望しつつ、「さんかく窓の外側」が、三角の目を通して描かれるモノのいるあちら側ではなく、僕のいるこちら側だったらどうしようなんてことも考えている。

いずれにしても、三匹の賢明な猿よろしく見ることや聞くことや言うことをやめたところで、見えていたものや聞こえていたものや言いたいこと自体がなくなるわけではないのだ。外側の夜が怖いからと窓やカーテンを閉めたところで、内側が昼に変わるわけではないように。