ホンダナノスキマ

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『誰も懲りない』と月見バーガーについての話


誰も懲りない

誰も懲りない

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たとえば「月見バーガーの季節」のように、日々を生活していくなかで、その到来を待ち望んでいるものがいくつかあります。「中村珍のストーリー漫画」も、そのうちのひとつでありまして。というわけで、先ごろ単行本が発売された『誰も懲りない』。

この作品には、ある家族のことが描かれています。娘の登志子を語り手として、両親と、弟と、両親の祖父母のことが描かれています。第1話の3コマ目、そこに描かれた父親の「にこ」という口角と、この文脈での「そんなの当たり前だな」という台詞で、僕はこれだけでもう、ああ、中村珍先生のストーリー漫画だと、小躍りを始めてしまうわけですが。

 

さて、この『誰も懲りない』という作品には、「ものさし」というキーワードが登場します。単行本カバーに書かれた言葉を借りれば「人にはそれぞれ 自分用に仕上がった ものさしがあって 誰の人生を測るときにも きっと そのものさしを使うんです」という筆路での「ものさし」。

僕は冒頭で、この作品を月見バーガーと並べました。もしかしたら、人によっては「月見バーガーなんかと並べるな」という心情になる人もいるかもしれません。でもその人は、僕がどれだけ月見バーガーに対して切実なのかを、きっと知りません。その人のものさしに刻まれた月見バーガーの目盛を僕に押し当てて、測ろうとします。

同様に「月見バーガーはおいしいものである」という自分の基準に依って、それを好意として中村珍作品を語るというのは、この文章を読むかもしれない誰かに、そして作者に、僕は僕のものさしを押しあてているのです。

「ものさし」が登場するのは作品の後半ですが、以降、もともと多めではあった台詞がさらに増え、コマを埋め尽くし始めます。描かれた背景を、人物を、吹き出しや文字が覆います。これは、ものさしを押し当てられている状態という表現であり、つまり「ものさし」とは、言葉のことなのです。僕のものさしによると。

 

単行本には、6ページの描き下ろしが追加されています。物語の結末後に置かれたこの6ページを読むことによって、自分のものさしに刻まれた目盛を知ることができるでしょう。『誰も懲りない』という物語を測った自分のものさしの目盛を、知ることができるでしょう。