ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『ちーちゃんはちょっと足りない』で溢れだしたもの

その友人の旭の言を借りれば、「言葉や考えが足りない」ちーちゃんこと南山千恵、中学2年生。社会科のテストで23点をたたき出して歓喜のダンスを踊ったり、日曜朝アニメのグッズのガチャガチャがやりたくて、やっと覚えた九九(間違えてる)を披露しながら姉に200円をねだったり。

もうひとりの友人である小林ナツは、「フリーソフトをインストール」と聞いて「首に巻くストールとパソコンにどんな関係が?」と返したりして、またまた旭の言を借りれば、「千恵の陰に隠れてけっこういかつい」。

学業や恋に悩みながらも笑い合いながら過ぎていく、そんな女子中学生3人のほのぼのとした日常が綴られる――と思いきや。

 

ある事件が起きる。ちーちゃんが引き起こしたその事件によって、ナツが落魄する。

頭がよかったり、優しかったり、恋人がいたり、そういうまわりの友人たちと比べ、自分にはなにもないと思っていたナツは、自分という器をなにかで満たしたかった。自分という器の中身が、足りないと感じていた。

しかし器は、その時々で容量も形も変わるので、それを満たすことのできるものも、その時々で違う。満たされたと思っても、別の中身を見つけた瞬間に器は形を変えるから、また隙間が空いて足りないと感じてしまう。器にはまらなくなったものは、いらないと排除し続ける。

 

小学生のころに行った家族旅行で、お土産屋さんで買ってもらったお人形さん。けれど別のお土産屋さんで見つけた別のお土産が欲しくなり、お人形さんをいらないと投げ捨てる。器の形が変わってしまったから。

どうしても欲しいものがあって、お小遣いの前借りを母親にお願いして、怒られて、けれど後日、「今回だけ」と親がくれた千円札を見て、もう遅いと、イヤな気分だと吐き捨てる。器の形は変わってしまっているから。

自分の器の形を、そこへ入ろうとするものに合わせて変えることも、他人の器の形を想像し、それに自分を合わせることもできないので、ナツは満たされることはないし、誰かを満たすこともできない。だから自分で自分を「変化できないクズ」と呼び、その思いで器を満たし、自家中毒に陥るしかない。

それでもナツは最終話、その時の器の形にはまるものを見つける。ちーちゃんだ。ナツは彼女に対して「私たち、ずっと友達だよね?」と、その形が変わらないことを確認しようとする。ならばちーちゃんが変わっていったとき、あるいは彼女の器の形が変わったとき、ナツはまたちーちゃんを投げ捨てるのだろうか。

 

第1話の最終ページと、最終話の最終ページは、まったく同じ構図で描かれている。第1話で「空車庫あり」という看板が掲げられていた背景の駐車場は、最終話で看板が外された。駐車場は、ちょっと足りないのかもしれない。前景に描かれた人物の数は、明らかに足りない。この瞬間、ナツだけが足りている。この瞬間だけ。

『空が灰色だから』の阿部共実による初の長編漫画『ちーちゃんはちょっと足りない』は、『空が~』同様に、他人に見せたくない僕の部分を満たし、そして溢れさせた。溢れでたものを拭い去るタオルが、ぜんぜん足りない。