ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『幸福はアイスクリームみたいに溶けやすい』のはなぜなのか

結婚式の前々日に、彼女は自ら命を断った――。その理由を探しもとめる婚約者を描いた表題作「幸福はアイスクリームみたいに溶けやすい」ほか、12の短編が収録された一冊。ほとんど用いられない擬音や、繊細な線も事由となって、この作品では、それぞれの日常が静かに静かに綴られている。

見かけだけの話ではなく、各話で描かれているのは実際に起こりうることばかりだし、結末も、たとえば意外な落ちがあるわけでもなく、大仰な教訓が示されているわけでもない。その先も静かな日常が続いていくことを予感させ、各話は幕を閉じていく。

 

この短編集を読んで、昔よく聴いていたある曲を思い出した。

ぼくらはといえば 遠くを眺めていた

陽だまりに座り 若さをもてあそび

ずっと泣いていた ずっと泣いていた

 

(サニーデイ・サービス『若者たち』より)

この曲で「ぼくら」がもてあそんでいた若さ、眺めていた遠くとは、この先の永遠にも思える時間をともなった、目の前に湛えられた巨大な日常のことだ。

『幸福はアイスクリームみたいに溶けやすい』に登場する彼らの前にも、同じようにそれぞれの日常が湛えられている。自殺した婚約者や、暮らすマンションで起こったボヤ騒ぎや、小学生のころの心憂う思い出や、そういったできごとたちも日常に飲みこまれていく。

 

表題作で自ら命を断った彼女は、生前、婚約者にむけてこう語っていた。「私今とても幸せだよ。けどなんだか幸せが溶けてしまいそうで怖い。幸福はアイスクリームみたいに溶けてしまう。」と。

その通りだ。彼女の言うように、幸福だけではなく、不幸や悲しみといった類のものも巨大な日常のなかへ溶けていってしまう。

けれど、そうでなければ、ぼくらはきっとそれを持てあましてしまう。日々、自分のなかから溢れでる幸や不幸や愛や憎しみが、どこにも溶けていかないのなら、ぼくらはきっとそれを持てあましてしまうのだ。

 

この作品の最後に収録された「海を見に行く」で、表題作のふたりが世界とのつながりと孤独について語りあう。海岸を歩きながら、青は空間の色、つながりの色だと。青は憂鬱の色、孤独の色だと。

幸せな日々はきっと、アイスクリームみたいに溶けていってしまう。ふたりで歩く砂浜につけた足跡が、波にさらわれてしまうように。たしかなものをつなぎとめられないぼくらはだから、基本的には孤独だ。

けれど、だからこそ続けることができるその日常の、たくさんの幸福や悲しみが溶けだしたその先の先のほうではきっと、いつも誰かとつながっている。ふたりの足跡をさらった波が、海を隔てた向こう岸まで届くように。

 

サニーデイ・サービスは、彼らの1stアルバムである『若者たち』で奏でた想いや日常を、2ndアルバム『東京』で、そこに答えを求めるでもなく、そこに意味をのせるでもなく、ただ鮮やかに彩ってみせた。

黒谷知也という作家は、たくさんの幸福や悲しみが溶けだしたままならない日常に、どんな色をつけてくれるだろうか。次回作が楽しみだ。

若者たち

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東京

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