ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

君はもう『月刊コミック無職』を手にしたか?

『月刊コミック無職』とは

みなさんこんにちは。

このブログでも、その作品についての記事を幾度か掲載させていただいていますが、僕が大好きな作家のひとりに、中村珍という漫画家がいます。

その中村珍先生が、現在noteというウェブサービスを利用して、ご本人による複数の連載作品をまとめ、雑誌として有料で配信しています。それが、『月刊コミック無職』です。

【『月刊コミック無職』公式web】

【中村珍先生のnoteアカウント】

【『月刊コミック無職』創刊号】

この『月刊コミック無職』、雑誌という言い方をしましたが、各タイトル毎にバラでの購入が可能というコンビニエンスな仕様です。が、どの作品も、それぞれに魅力があって、とても楽しく読むことができています。

以下、現在連載中の作品について、その詳細は公式サイトをご覧いただくとして、連載中ということもありますので、できるだけ内容にふれない範囲で感想のようなものを記してまいります。購入の際の一助になれば、幸いでございます。

 

「レズと七人の彼女たち」 

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みなさんは、タバコどうですか?

どうですかって言われても困るとは思うんですが、タバコに関して話そうとしたときの、いっぱい吸うのかまったく吸わないのかみたいな、好きなのか嫌いなのかみたいな、愛しているのか憎んでいるのかみたいな、二元論的なスタートが苦手なんです。

僕は喫煙者なんですが、日に10本程度という比較的ライトなスモーカーでして、数時間、場合によっては数日間、なんらかの理由で吸えないということになってもまあ大丈夫ですし、だからタバコに対しては、たとえば乗っていた船が難破して、無人島に辿り着いて、とりあえず一服しようかと思ったのに胸ポケットに入れたはずのタバコが海の藻屑と消えていたらそこそこガッカリするかもな~(でもこれって海にタバコ捨てたことになるのかな~、まずいな~、ごめんなさい!)くらいのスタンスなんです。吸うのは好きといえばまあ好きだし、吸える環境ならまあ吸うけれどもっていうくらいの。

でもたとえば、非喫煙者の方のなかには、僕が喫煙者だとわかったとたんに「そうなんだ、で、やめないの?」って言ってくる人がいるんですよ。え……なんで突然やめるところから話がスタートするの……っていつも思うんですけど、だってこっちはその人が非喫煙者だからといって、「そうなんだ、で、いつ吸い始めるの?」とは言わないじゃないですか。それにその人はきっと、たとえば僕が毎日コーヒーを飲むことに対しては、「そうなんだ、で、やめないの?」とは言わないじゃないですか。

そんなふうに、タバコに関するトピックになったとたん、極端になりがちな論調がちょっと苦手でして、だから、吸いますかとか吸いませんかとか、好きですかとか嫌いですかとか、あまり決めつけたような質問をしたくなくて、冒頭でどうですかって聞きました。

どうですか? そうですか。

 

で、ですね。自分が吸うためのタバコに関してはそんな感じなんですが、はっきり好きだ嫌いだと言えるパターンもありまして、それは、映画や漫画に小道具として出てくるタバコについてなんです。

「レズと七人の彼女たち」にも、小道具としてタバコが登場します。

第2話で、中村さんと仙台さんという女性が、バー、バーっていうんですか? その、Barに、お酒を飲みに行くわけですが、そこで、タバコを吸いながらの会話が展開されるんです。

少し込み入ったトピックを扱う会話が、タバコを取り出す、マッチを擦る、火をつける、新しい灰皿を要求する、煙を吐く、吸い殻を捨てる、新しいタバコを咥える、というような動作とともに描かれていて、その淀みない一連の動作が淀みない背景となって、僕はふたりの台詞にも流れを感じて、それを淀みなく読み進めることができました。うまいな~、好きなタバコの使い方だな~と。

と思えば、擦られるマッチだけが描かれたテキストなしのコマを挟んで、次のコマで強い台詞を言わせたりだとか、タバコを咥えた人物だけが描かれたテキストなしのコマを挟んで、その次のコマで強い台詞を言わせたりだとか、タバコを緩急として巧みに利用し、また、さらにはその次のコマで、タバコを吸う、ためる、吐くという動作だけで、直前の台詞に対するリアクションを表現したり。うまいな~、好きなタバコの使い方だな~と。

このシーンで語られる内容を提示するためにはタバコが不可欠である、というわけではないんですが、小道具としてのタバコによって、このシーンが、とても豊かになっているとは思いませんか。ぜひこの作品を読んでいただいてですね、試しに、タバコなしで描かれたこのシーンを想像してみてくださいよ、ほら、味気ないじゃないですか(もちろん、このシーンが実際にタバコを小道具として使うことができない環境だったのであれば、中村先生は別のアイテムや演出を駆使していただろうというのは言わずもがなですよ)。

タバコというのは嗜好品ですから、人の生存のためにどうしても必要であるというものではないわけですが、その不用とも言えるアイテムによって、人生が豊かになることもあると思うんです。映画や漫画に登場する小道具としてのタバコというアイテムも、プロット的に不用であっても、そのシーンを豊かにすることがあると思うんです。そういうタバコが、好きなんです。誰が、なんと言おうと。極端な論調ですみません。

 

この「レズと七人の彼女たち」ですが、現時点では、まだすべての「彼女」は登場していませんが、ほかにも喫煙者の方がいるようですし、道具としてのタバコが、次はどんなふうに登場するのかなと、そういう視点でも更新を楽しみにしているタイトルです。

 

「会えない日と同じでしょ」 

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みなさんは、口語体って好きですか?

文語体に対する口語体というよりも、話し言葉という意味での口語体についてですが、僕はあまり好きじゃないんです。好きじゃないんですって、めちゃめちゃ話し言葉で書いてますけど、こう、読みやすいっていうのはあるんだけれども、頭に残りにくいと思いませんか、話し言葉。

漫画と呼ばれる作品の多くは、登場人物の会話でストーリーを進める場合がほとんどなので、自ずと話し言葉中心になりますよね。それは、その登場人物が発した言葉、台詞として描かれているので、話し言葉だからといって好きも嫌いもないわけですが、ただ、話し言葉というのは、ある事象を説明しようとしたときに、要する文字数が増える割りには精度が落ちるという側面があると思うんですね。逆に、あいまいなニュアンスの台詞を言わせたいときなんかは、話し言葉じゃないと難しい面もあると思うので、どちらがよいという話ではなくですね。

で、漫画というのはコマが割られて、そのなかにある吹き出しに言葉が嵌めこまれていく、というのが普通です。限られているんです。場所が。文字数が。だから、最小限の言葉でもって、状況や感情なんかを明示しなければいけないわけです。

 

で、ですね。『羣青』などの、これまでの中村珍作品を読んで、登場人物たちは、考え抜かれた言葉だけを話しているんだなと、物語は、選び抜かれた言葉でもって構築されていくんだなと、そう感じていて、それが中村珍先生の作品を好む理由のひとつでもあるわけですが、だから、その都度コマや吹き出しのなかに収めなければならない文字数というような、細かい制約のない、話し言葉だけではない”文章”で構成された中村珍先生の創作物も読んでみたいと、ずっと思っていたわけです。

そこで、この「会えない日と同じでしょ」です。小説です。

たとえば、「いずれにせよ、桃が償う夏は前触れもなく途絶え、それきりになった。」(「会えない日と同じでしょ」敦子(一)より)だとか、「こいつらは断末魔のように、青々と、みどりの匂いを香らせるのだ。」(同・敦子(二)より)だとか、よくないですか、いいですよね、好きです。「桃が償う夏」……「青々と、みどりの匂いを」……よくないですか! いいですよね! 好きです!

 

小説「会えない日と同じでしょ」は、創刊号に掲載された分だけで、5万字以上のボリュームです。中村珍先生の「言葉」を浴びてみたいと思っていた方にとって、嬉しいタイトルだと思います。

 

「お母さん二人いてもいいかな!?~レズビアンのママ生活~」

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みなさんは、エスカレーターとエレベーター、どっちがどっちだっけってなりませんか? 

僕ですか? なりませんよそんなの。階段のやつがエスカレーターで、箱に入るやつがエレベーターです……というように、自信を持って答えられるようになったのは、割りと最近のことなんですけれども、だから(あれ……どっちがどっちだっけ……?)となってしまったときは、「ほら、向こうにエスカレベーターあるよ」という具合に、どっちともとれる言い方をしていた時期もあったと伝えられている。

それでですね、パソコンやスマートフォンでインターネットを閲覧中に、縦に長いページをどんどんスクロールすることがあると思うんですが、たとえば下へ下へと向かってスクロールしていくと、表示されている画面は上へ上へと逃げていって、相対的に、自分が下方へ向かっているような感触があって、まるでエレベーターから見る景色みたいだなと、パソコンやスマホの画面を見ながら、いつも感じているんです。

ウェブページというのはそんなふうに、上から下へ向かってスクロールされていくのが一般的で、『月刊コミック無職』も同じスタイルなわけですが。

 

で、ですね。この「お母さん二人いてもいいかな!?~レズビアンのママ生活~」の作品形式は漫画なんですけれども、パソコンやスマホで読まれることを前提として、気を遣って構成されているなと思うんです。

たとえば、一般的な紙の漫画は、大雑把に言ってページの右上から左下に向かって読み進めますが、1ページのなかで、その動きを遮るような、視線の上方向への動きがけっこう要求されているんです。ただ、右ページから左ページヘよっこいしょと進むときに(見開きでない限りは)必ず上方向への移動が発生し、それを繰り返しているので、1ページ内での上方向への視点移動も、あまり意識せず読むことができているんじゃないかと思うんです。

一方のウェブページでは、ベースとなる上から下へという視線の動きが阻害されるとストレスになってしまうんですが、この作品では、できるだけ読者の視線が上へ戻らずに済むようにコマが割られ、テキストが配置されているように感じます。

ほかにも、拡大したいと思うような大きさのコマや文字が使われていないだとか、これは実際に読んでいただいたほうがわかりやすいかと思うんですが、コマの集合、いわゆる漫画部分と、そのあいだに挟まれるテキストだけのパートで組まれた構成の妙だとか、パソコンやスマホの画面で漫画を読むことに慣れていない方でも、スムーズに作品世界へと入っていけるWEBマンガだと思います。 

 

あ、あと、作品のなかで登場人物たちがエレベーターに乗って上の階へ向かうというシーンがあるんですけれども、その場面をスクロールしたときに、実際にそのコマが画面を上がっていくっていうのが面白かったですね。

 

危険!!フリーランスの地雷原」

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みなさんは、仕事で理不尽な目にあったときとかどうしますか?

同僚や友人に愚痴るだとか、先輩や上司に相談してみるだとか、SNSに書き込んでみるだとか、まあいろいろあるとは思うんですが。

僕は昔、働き始めたばかりのころに、上司から受けた指示に対して、んん……? これおかしくないか……??? みたいな所感を抱いたことがありまして、二晩くらい考えてみたんですけれども、どうにも納得がいかなくてですね、先輩にあたる人物にこれこれこういうわけでしてと相談してみたところ、「まあ、それについてはそんなもんだよ」という回答をいただきまして、そうなのか、そんなもんなのかと、その場では呑み込んだわけなんですが、何ヶ月かそこで働いているうちに、こう、わかってきたんですけど、その件について「そんなもん」で済ませているのは、その上司と先輩だけじゃ~ん。他の人はきちんと対応してるじゃ~ん。やだもぉ~。てことはその上司と先輩に倣って「そんなもん」で済ませた僕も同じタイプの人間だと思われてるじゃ~ん。やだもぉ~。

会社のルールや都合なんかは、その会社だけでしか、あるいは、さらにそのなかの一部でしか通用しないこともあったりして、それを業界全体の、ときには社会全体のルールや都合だと勘違いしてしまうと、他社や他人に自覚なく迷惑を掛けることになってしまうわけで、そういう人を目にする度に、自分はそうならないようにと思っているわけですが。思っては、いるわけですが。

 

で、ですね。この「危険!!フリーランスの地雷原」では、自分のルールが公式であると疑わず、他人にも、そして社会にもルールがあることを想像しない発注者からのオーダーを食らう受注者の受難が描かれているんですが、それがなぜ受難なのかが、論理的に、詳らかに解説されていて、オーダーとともに難を受けとる受注者の方には申し訳ないですが、読んでいてとても胸のすく作品です。

『アヴァール戦記』という作品を読んだときにも思ったんですけれども、中村珍先生は、ご本人にとって苦難としか言えないようなできごとを、エンタメとして作品に仕上げるのがほんとうに達者でいらっしゃると思うんです。

この「危険!!フリーランスの地雷原」も、エンターテイメントとしてとても楽しめるつくりになっていて、僕がフリーランスと呼ばれる立場にないということもあるのかもしれないですが、読んでいて、大変なことだなあと思いながらも、どうしても笑ってしまいます。ああ面白い。 

 

社会のなかで生活している限り、誰もが発注者であり受注者なわけですが、そのどちらの視点で読んでも勉強になりつつ、もしかしたら耳が痛くなりつつも、楽しめる作品です。 

 

「これからどうしよう 不人気漫画家無職譚」

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みなさんは、漫画をどんなふうに読みますか?

僕はですね、漫画、大好きなんですけど、すごく生真面目に読んでしまうんです。シリアスだろうとギャグだろうと、フィクションだろうとそうでなかろうと、それは変わらないんです。

生真面目にっていうのはつまり、自分を賭けて読むんです。今まで生きてきた自分とか、今生きている自分とか、これから生きていくかもしれない自分とか、そして、そういう自分たちを動員して、その漫画を選び購入した自分も合わせて賭けて、作品に臨むんです。

生真面目というか、なんかもう、え……そこまで……という感じがなくもないですけれども、違う言い方をすれば、今までに得た知識だとか、今している仕事だとか、これからの人生の展望だとか、自分が自分として生きるなかで備わってきたデータや技術や考え方を動員して、作品に臨むということです。

これは、なにがしかの創作物に向き合うときに、程度の差はあれ、誰でもしていることだと思うんですが、まあとにかく、僕は漫画をそうやって読みますし、そうやって読むのが好きですし、そういう向き合い方のできる媒体が、僕にとっては漫画である、ということです。

 

で、ですね。中村珍先生の『羣青』という作品があるんですが、今まで何千冊と漫画を読んできたなかで、最も自分を賭けて読んだのが、たぶん、その作品だろうと思っているんです。

それで、その『羣青』という漫画について書いた記事で理由も述べていますけれども、『羣青』という作品が漫画でよかったと、そう思ったんです。そして、それを描いた中村珍という漫画家が好きになって、以降の作品も、単行本ペースではありますが、追いかけ続けていたんです。

 

で、ですね。この「これからどうしよう 不人気漫画家無職譚」のなかに、中村珍先生の「好きな漫画の描き方」が記されていまして。

それを読んで、だから僕は、中村珍作品に、自分を賭けることができたんだと。中村珍という漫画家に、自分を賭けることができたんだと。すとんと、落ちて。腑に。

さらに、中村珍先生の「『漫画』に対する考え方」も記されていまして。

それを読んで、これからも僕は、中村珍作品に、自分を賭けることができるのかと。中村珍という漫画家に、自分を賭けることができるのかと。ぽたんと、落ちて。涙が。

 

ひとりの漫画家が、漫画をどう考え、それをどう描いているのかを知ることができる貴重な作品であり、同時に、漫画を生真面目に読むことが好きな人にとって、大切な作品になるだろうと思います。

 

そして新連載へ・・・

みなさんは、中村珍先生の長編ストーリー漫画を読みたいと思いませんか?

先日、『羣青』『誰も懲りない』以来となる長編連載の第一弾として、『D-O-G.』というタイトルが発表されました。この作品は、製作資金の集まり具合によって、連載開始の時期が変わってくるそうです。当該記事の売上と募金で集まった金額によって、第一話がいつ掲載されるのかが決まるということです。

 

もう一度、お聞きします。

みなさんは、中村珍先生の長編ストーリー漫画を読みたいと思いませんか?

僕ですか? 読みたいですよそんなの。みなさんも、ぜひ上記リンク先にて、『D-O-G.』についての詳細をご確認いただければと思います。

 

ということで、『月刊コミック無職』、そして中村珍という漫画家を、これからも、微力ではありますが、応援していきたいと思っています。また、その「応援」が、noteというサービスを介してですが、直接作者へ届けることができるというのも初めての体験で、なんだかワクワクしています。この試みが、上手く、長く続けばいいなと思っています。

羣青 上 (IKKI COMIX)

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誰も懲りない

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ちんまん―中村珍短編集 (ニチブンコミックス)

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アヴァール戦記 1 (BUNCH COMICS)

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混迷社会の子育て問答 いくもん!

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