ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『虫と歌』とヒトと言葉と

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

たとえば、外見も中身もヒトに近いロボットのようなものができたとします。そのロボットのようなモノが言う「あなたを愛しています」と、ヒトの言う「あなたを愛しています」の、それぞれの「愛」の間に、決定的な差異はあるのでしょうか。

『虫と歌 市川春子作品集』。収録されている短編のすべてに、ヒトに似たヒトではないモノが登場し、ヒトと、ヒトではないモノとの関わりが描かれます。今回は、表題作「虫と歌」についてのお話です。

ヒトである兄は、昆虫を「造る」ことを生業としています。兄に造られた昆虫である弟の”うた”と妹のハナ、もう一人の弟シロウ。彼らのような昆虫を造る目的を、兄はこう説明しています。

擬態ってあるだろ?
天敵の目を逃れたりエサを確保するため
環境や危険な生物にカモフラージュする訳だが
このまま行くと何十年何百年先かもしれない日
居場所を失った昆虫が人にカモフラージュする可能性が必要になるかもしれない
進化ではなく昆虫として生き残ることに賭ける技術開発だ

(市川春子『虫と歌 市川春子作品集』 P181-182)

見た目をヒトに似せ、言葉を覚えさせ、ヒトにカモフラージュすることで、ヒトの暮らす環境に入り込み、昆虫として生き残るための実験です。

もし現実に、見た目がヒトと同じ且つ言葉を話すヒトではないモノが現れたとして、ヒトとしての僕は、そのモノと僕の間にあるべきであろう隔たりを認識する自信はありません。身なりを整えることや言葉を覚えることというのは、ヒトが社会という環境に出ていく過程と同じだからです。ヒトも、環境に適応するために擬態しているのです。


再び、冒頭の問い。

たとえば、外見も中身もヒトに近いロボットのようなものができたとします。そのロボットのようなモノが言う「あなたを愛しています」と、ヒトの言う「あなたを愛しています」の、それぞれの「愛」の間に、決定的な差異はあるのでしょうか。

ロボットの言う「愛」も、人の言うそれも、言葉であるという点で完全に同じモノです。「愛」というものが現実にあるのだとしても、それが言葉で表現されてしまえば、その真偽を確かめることはできないのです。

シロウは、昆虫としての寿命にあらがえず、一般的なヒトと比べれば早すぎる死をむかえます。その間際に「恨み言を『言わない』」ことで、「ずっと海にいなくてよかった」という言葉を補完し、”うた”への愛情を表現します。”うた”もまた、「文句のひとつも『言わない』」ことで、「生まれてよかった」という言葉を補完し、兄への愛情を示します。

伝えるために言わないという方法を、特に言葉を覚えたてのシロウでさえ使っているのは、言葉の不全性を象徴しているように思えます。


ラストシーンでの、おそらくはクライアントからの電話が鳴り響くなか、妹のハナも失ったであろう兄のモノローグ。

もう やめにしないか
お前にとっては たかが昆虫実験かもしれないが
俺は 弟を18回 妹を12回 息子を18回 娘を12回 なくした
みろ 優しい子は黙って 激しい子は暴れ 泣き崩れて 息絶える
俺はその前で 言葉を尽くして 崇高な目的 大いなる目的を 18回……12回……

(同書 P233)

たかが昆虫実験と思えない兄は、死んでいくモノに対し、崇高な目的、大いなる目的を語ることで、兄自身にとっての存在意義を、つまり対象を愛しているということを証明しようとします。しかし、兄は彼らに対して「言葉を尽くして」伝えるという行為に絶望しています。

言葉で伝えた内容が届いたかどうかというのは、送り手側と受け手側それぞれが自ら判断することであり、その判断は、両者の間でイコールというわけではありません。だから”うた”の、死の間際の「ちゃんと愛してくれた」という言葉を聞いていても、兄自身がそう判断しない限り、望みは絶たれたままなのです。


この作品は、ヒトは言葉をコミュニケーションの手段としているゆえのコミュニケーション不全から逃れることはできない、という寓話だと思います。しかしこの作品を体験することで、作者の内に溢れる何かの存在を確かに感じ、それが何かは分からないけれど、自身の内にも存在するモノであろうという期待が生まれる、というコミュニケーションが成立しているとも思うのです。

それを確認するために、結局こうして言葉を使うという絶望もつきまといますが、それでも”うた”が「もっと話をしたかった」と言ったように、伝わらなくとも、話し続けるということも、ひとつのカタチなのかもしれません。


ところで、私生活において他人から情緒的な面に関して「言ってくれなきゃわからない」という趣旨の要請を何度か受けたことがあります。でも、言わなきゃわからないということは言えば事足りるということです。その真偽を確かめることができずとも、言えば事足りるということです。

言葉にするだけで事足りるのなら、誰も兄のような苦悩を抱えるはずがないのです。それができないから、自分のなかにあふれる感情をどうにかして排出しようと、ヒトは言葉以外の様々な方法を試みているのではないでしょうか。

たとえば、物語。たとえば、うた。