ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『惑星のさみだれ』にさようなら

惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)

折にふれて、親や教師などから、挨拶はきちんとしましょうと言われて育ちました。恥ずかしながら長じてからも、上司などから同様の指導を受けることがあるのですが――。


さて、『惑星のさみだれ』を読み進める上での重要なキーワードとして、「子供」と「大人」、あるいは子供から大人への「成長」というものが挙げられます。

たとえば物語序盤において、「さみだれと自分の障害になり得るものは、単に排除すれば良い」と考える雨宮夕日に対し、ノイは「お前は思い通りにならないことにヒスを起こす只の子供だ」と説きます。

また、夕日の師匠と言える東雲半月の「大人が笑うのは、子供に人生は希望に満ちているということを教えるため」だとか、さみだれの父親である朝日奈時雨の「こんな人になりたいと思わせるようなヒーロー、それが大人だ」といった大人論も展開されます。

そういった大人たちに囲まれ、さらに茜太陽や月代雪待、星川昴といった自分よりも子供である人物たちと関わる中で、大人たちから子供だとされてきた雨宮夕日は、いつのまにか子供たちのために、こう考えるようになりました。

仕方ないだろ
ちゃんとしなきゃ ていうかかっこつけなきゃ
あの子たちから見たら 僕は多分
…大人に見えてるんだ

(水上悟志『惑星のさみだれ』7巻 P120)

夕日は自分より若い子供たちを意識することで、自らを大人と捉える視点を獲得しています。『惑星のさみだれ』での、重要なテーマの一例であると思います。


では、作中における大人と子供の違いは何なのでしょう。

最終巻でのアニムスとのゲーム終了後、自らの拳で地球を砕かんとする朝日奈さみだれ。その彼女を止めることに成功した雨宮夕日をはじめとする獣の騎士団が、さみだれを迎える場面です。

さみだれ「…あたし……」
アニマ「さみだれ …おつかれ おかえり」
南雲「…おかえり」
風巻「おかえり」
太陽「? …お…おかえりなさい」
雪待「あのー私、おかーさんがお医者さんの知り合い多くて…」
昴「私のお父さんも顔が広くて…その…」
白道「さみちゃん……ごめんね。おかえり」
花子「おつかれさま おかえりなさい」
三日月「おつかれさん おかえり」
さみだれ「あた、あたし、ごべん、ごめんなさい ありがとう ただいま」

(同10巻 P108-110)

感動的な場面ではありますが、こうして書きだしてみると、発言者が異なるだけの同じような台詞の繰り返しであり、少々くどいという印象も持ちえます。また、さみだれに対して皆が「おかえり」や「おつかれ」などの言葉をかけるなかで、太陽はその対応に「?」を浮かべながらの「おかえりなさい」であり、雪待と昴は何を言ってよいのかわからないといった様子です。

太陽と雪待と昴という、子供たちだけに趣の異なる対応をさせることで、「おかえり」「おつかれ」「ただいま」などの、言わば挨拶をしている者が、子供ではない者、つまり大人であるという表現と言えなくもありません。

また、はじめて明確な意思を持ち、自己の同一性に悩む11体目の泥人形、マイマクテリオンの姿が子供であるというのも示唆的です。マイマクテリオンは、風巻豹の創りだした泥人形に引導を渡される間際、彼に「泥人形とは、私とは何だ」と問いただします。風巻豹は「彼らはぼくの一部達だ 心の映し 内なるものの投影」と答えます。

自らの心が投影された一部を、客観的に認識することで他人の存在に気付き、それが同時に自己の確立につながるというのは人間の子供も同じです。

8巻、P185において、そうやって自らを認識し、特に交流の深かった茜太陽という存在を改めて発見したマイマクテリオンは、最後に「さようなら」と挨拶をしてから無に帰すのです。そのマイマクテリオンに対し、大人である風巻豹は「さよなら」と挨拶を返しますが、子供の茜太陽はそうできずに、心のなかで「さよなら」と思うに留まるという表現がされています。


ではでは、作中での「挨拶」とは何なのでしょう。

再び最終巻、地球を砕こうとする朝日奈さみだれと、彼女を止めようとする雨宮夕日が戦うなかで、さみだれの、その動機をアニマが説明する場面での言葉です。

世界を愛し 求めるだけの生だと思っていたのに
世界もまた 自分を愛してくれるのだと

(同10巻 P80)

おつかれ、ありがとう、どういたしまして、おかえり、ただいま、じゃあな、さらば、さようなら。これらはすべて、挨拶です。そしてこれらは、端的に言って、世界に対する「私はあなたを愛しています。だから私を愛してください」の入り口なのです。そして、挨拶をきちんとできる者が、きっと大人なのです。


ということで、冒頭に記したように、この歳になっても僕はまだ「ちゃんと挨拶しなさい」などと注意を受けてしまうわけですが、これを機に少しでも大人になれるよう、きちんと挨拶をして終わりましょう。

まずはここまで読んでいただいた方に、ありがとうございます。素晴らしい作品を残してくれた水上先生に、ありがとうございます。お疲れさまでした。そして最後に、『惑星のさみだれ』という作品にさようなら。


ところで、最終話ではアニムスとの戦いから10年後の、それぞれの成長した姿が描かれており非常に感慨深いものがありましたが、当時まだ少女や子供だった女性陣たちの胸部も滞りなく順調に成長している様子が見てとれるので、そういう面でも胸が熱くなりましたよね。おっぱいだけに。