ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

日々のこと 2 (河童の話) 

突然ですが、カッパを見たことありますか? 雨のときに着るほうじゃなくて、頭にお皿が乗っている緑色のアイツのことです。「僕は、子供の頃に河童を見たことがある」とツイッター上で発言したところ、何人かの方から生温かい反応をいただいたので、そのできごとを、くわしく記してみようと思った次第です。


小学生になるかならないかという子供のころに住んでいた家の目前に、細い道をはさんで、幅10メートルほどの小さな川が流れていました。河岸も道路も舗装すらされていなかった、そんな時代のお話です。

その年の9月に、大きな台風がやってきました。連日の豪雨で川の水嵩も増し、大人たちはその決壊を恐れていました。雨脚が弱まったのを見はからい、僕とパパンは家を出て、川の様子を見に行きました。大きな音を立てて、濁流が目の前を通りすぎていきます。

家から50メートルほど上流に、大人がやっとすれ違える程度の小さな橋が架かっていました。パパンはその橋の真ん中に立ち、上流を眺めていました。僕は、たぶん川の流れの速さに怯えていたのでしょう。パパンにはついて行かずに、家の前にしゃがみ込んでいました。

10分ほどそうしていたでしょうか。川を眺めるのにも飽き、落ちていた木の枝で地面に絵を描き、それにも飽きた僕は、持っていた木の枝を川へ放り込もうと、その流れへ目をやると、それは、そこにいたのです。

それは、緑色でした。
それは、頭に皿が乗っていました。
それは、河童でした。

それは、必死でした。だって、ほとんど溺れていたのですから。流されないように必死でもがく彼(彼女)と目が合いました。僕と河童の目が。これは後から思ったのですが、もがきながらも、橋の上のパパンの方を指さしているように見えました。

僕は走りました。橋の上に立つパパンの方へ。僕は叫びました。「パパン! 河童が溺れているよ!」と。

パパンを連れて家の前へ戻ると、そこにはもう河童の姿はありませんでした。パパンは、僕の言葉を、河童の存在を信じようとはしませんでした。「風邪を引くぞ」と僕に声を掛け、家の中へ戻ることを促しました。

そうして家に入り、玄関を閉めた直後、外からゴゴゴゴゴゴという大きな音が聞こえてきました。外へ飛び出したパパンと僕は、川の上流から押しよせる鉄砲水を目にしました。そして、その大きな流れは、つい2,3分前までパパンの立っていた小さな橋を、呑みこみ、剥ぎとり、下流へと押しやっているではありませんか。

それを見て、僕は思いました。
河童は、橋が流されるのを知っていたのだと。
河童は、それを教えてくれていたのだと。
河童は、だからパパンの方を必死で指差していたのだと。

僕はもう一度、河童の話をパパンにしました。けれども、やはり信じてくれません。「それなら河童は僕ではなく、パパンのほうへ直接現れるのではないか」と。でもパパン、河童は必死だったのです。パパンのほうへ行こうと思っていたのかも知れませんが、あの激流にはばまれて、それは叶わなかったのです。

「綺麗なココロを持った人にしか河童は見えないのよね」とママン。でもママン、その言葉は、やはり河童の存在を否定してしまっているのです。

誰にも信じてもらえないまま、彼(彼女)を見かけることは、二度とありませんでした。

けれど、それでも僕はあのとき、はっきり「見た」と言えるのです。なぜなら、パパン。あなたが、今生きているのですから。それは、僕が河童を「見た」結果なのです。それが、僕にとっての事実なのです。

これを読んだあなたの目には、僕の事実はどう映るのでしょう。やっぱりパパンと同じように、「風邪をひくよ」なんて言葉で誤魔化すのでしょうか。