ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『3月のライオン』の半分はやさしさでできています

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

この作品の、単行本のカバーに記されている紹介文は、「優しい物語です」という言葉で締めくくられています。当初、この言葉に違和感があったのですが。


主人公の桐山零は、幼いころに引きとられた「将棋の家」で、強くなるほどに深まる「本当の子供たち」との隔たりに、ひとりで将棋の勉強にのめり込みます。そうして中学生の内にプロになり、「僕があの家のひとたちを、父さんを食いつくす前に…」と、中学卒業を機に、「将棋の家」を出て一人で暮らし始めるのでした。

家族を亡くし、新しい家にも馴染めない零がプロになったのは、自分の居場所を見つけるためでした。将棋と必死に関わる零にとって、将棋はたったひとつの居場所であり、それを手放すことはもってのほかであり、また他人からその居場所の価値を貶められるわけにもいきません。12月24日に行われた安井六段との対局にも、そういった思いが表れます。

安井六段は離婚が決まっていましたが、「せめてクリスマスまではパパと一緒にいたい」という娘のために、クリスマスプレゼントを用意してから対局に臨みます。零はこういった事情を香子から既に聞いていました。「勝って帰ってきたお父さんと、負けて帰ってきたお父さん、最後のクリスマスにピッタリなのはどちらかしら?」というような言い方で。

対局は「あっけなく終わりをむかえ」ます。慎重に指し続けていた安井は、たったひとつのミスから簡単に勝負を諦めてしまいます。「大切なものをこんなにたやすく、どうか頼むから手放さないでくれよ」という零の思いをよそに、安井は感想戦もそこそこに会場を後にします。娘へのプレゼントを忘れたままであることに気付いた零は、彼の後を追いますが、安井は「あ~あ、最後のクリスマスだったのにな」という捨て台詞だけを残し、零の手からプレゼントを奪いとり立ち去りました。

直後、零は叫びます。

みんなオレのせいかよ
弱いのが悪いんじゃんか
こっちは全部賭けてんだよ
逃げれるくらいなら、なんで…

(羽海野チカ『3月のライオン』2巻 P185-188)

零は、安井の態度に将棋を、自分の居場所を蔑ろにされた気がしたのでしょう。さらに、居場所を手放すわけには行かない零は、この咆哮に重なるモノローグに書かれているように、「まわりのモノを喰いちぎってでも生きていく為だけに」、「誰を不幸にしても、どんな世界が待っていても」将棋を指すしかないのです。

だから、この作品は文字通り「獅子」の物語だと思ったのでした。将棋を指すために「優しさ」を犠牲にする物語だと思ったのでした。


その後迎えた獅子王戦挑戦者決定トーナメントで、対戦相手の島田は、零のライバルである二階堂と研究会を同じくしますが、零との対局前に、その二階堂から「桐山の頭をかち割って欲しい」と頼まれていました。頭をかち割るとはどういうことでしょう。二階堂は、小学生のころにデパートの屋上で催された将棋大会で、零に負けた対局を思い出しながら、島田にこう話しています。

小さい頃から病院で過ごす事が多かった自分には
盤上で強くなることだけが心を支える全てでした
(中略)
弱い対戦相手が全て努力を放棄した卑怯者に思えて
くやしくて腹が立ってイライラして……
―そんな自我のカタマリになり果てていた時
僕は桐山に出会って頭をカチ割られて救われたんです
ああオレより強いヤツがいる
オレより努力した人間がいる
「オレは独りぼっちじゃないんだ」って……

(同3巻 P165-167)

二階堂は、「何も持たない自分の居場所として盤に必死に喰らいついてきた」零と同じだったのです。「全部を賭けて将棋に臨んでいるのに逃げる場所がある弱いヤツに用がない」零と同じだったのです。

零が必死の思いで手に入れた掛けがえのない居場所は、同時に決して離れることのできない檻として彼を閉じ込めます。二階堂は、彼をその檻から引っ張り出したかったのです。今まさに「自我のカタマリになり果てている」零の頭をカチ割り、「お前は独りぼっちじゃない」と伝えたかったのです。

島田との対局後、研究会へ入ることに躊躇していた零は、林田の「一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ でないと実は誰もお前に頼れないんだ」という言葉に背中を押され、獅子王戦挑戦者決定トーナメントの決勝戦が行われている将棋会館へ走ります。そこには勝利で対局を終え、消耗しきった島田がいました。それを見た零のモノローグです。

僕は…
―こんな身を投げるように
「勝ち」を取りに行ったことがあるだろうか
そうだ…
島田さんのいる場所は遙か遠い場所
無傷では決して辿りつけるわけもない世界
(中略)
―その果てを彼は
独り両足をふみしめて往く人なのだ

(同3巻 P183-185)

零は、「研究会に入れてください」と島田に頼みます。自分ひとりで自分の居場所を手に入れ、それを守っていくことができると思っていた零は、知らず二階堂や島田や林田に助けられていたことに気付いたのではないでしょうか。そうして頼らせてもらった彼らに何かを返すには、零自ら頼ることが肝要です。林田の言うように、「自ら頼らないと、誰も零に頼れない」からです。

将棋という個対個の勝負の世界は「独りで往く」道ですが、同様に独りで高みを目指すその相手は、時に同胞となり得えます。そもそも、独りで往く世界を形作るには、つまり対局するには最低ふたり必要なのです。だから、棋士たちは独りで往こうとしながらも、お互いに頼ることを認め合います。この、孤高の獅子である棋士たちの意志、独りで往くが共に戦うという思いは優しさであり、それは将棋を指すことによる犠牲ではなかったのです。


というわけで、3巻を読み終えて、「優しい物語です」という紹介文に覚えた違和感は消えました。『3月のライオン』が「獅子たちの物語」であるという認識が間違っているとは思いませんが、その半分は、どうやら優しさでできているようです。

ところで、この作品で「優しさ」と言えば当然あかりさん一家が思い浮かぶわけですが、今回は棋士の世界に絞ってお話しました。なぜなら、あかりさんたちを含めてしまうと、一番優しいのがあかりさんの胸であるのは明白だし、ゆくゆくはきっとひなちゃんの胸も優しk