ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『寿司ガール』は女の鏡

看護師の夢を諦めた女王様。
時間を埋めることに懸命なOL。
尖った言葉でしか人と接せられない女教師…。
頭の上に寿司ネタを乗っけた
謎の「寿司ガール」に出会った女達は、
少しだけ人生が変わったことに気づいていく――。

(安田弘之『寿司ガール』1巻 単行本カバーより)

『寿司ガール』をご紹介。若干ネタバレ気味に書いてしまうかもしれない。寿司だけに。寿司だけにな。



さて、この作品の基本的な展開は、生活に疲れた女性たちがお寿司屋さんで頭に刺身をのっけた女の子である寿司ガールと出会い、ふたりの奇妙な同居生活が始まって……というものだ。

寿司ガールたちは、しゃべらない。もちろんただの置物というわけではなく、拾い主である同居人のアクションに対してしっかりとしたリアクションも見せるし、同居人が出かけたあとの、ひとりになった部屋のなかをかけ回るような子もいる。しかし、寿司ガールたちはしゃべらない。だからふたりが一緒に暮らすなかで、おのずと同居人側から寿司ガールに話しかけるという日常ができあがる。



「コハダさん」は、SM女王として働く同居人の、ツキのない男性遍歴を聞かされる。「笑ってさえいりゃそのうちなんとかなるだろってね」と、それでも明るくお茶目であけっぴろげな彼女を最後まで見守り続ける。

コハダさんの同居人は、暴力を振るわれたりするような男性遍歴を繰り返したり、仕事をクビになったり、父親を亡くしたりするが、それでもコハダさんと暮らした5年間を、「いいことなんか一つもなかった」5年間を、「楽しかった」と振り返る。いいことがなくても、ただ「いいことないねー」と笑って言い合える、色々うまくいかなくても、ただ「色々うまくいかないねー」と笑って言い合える、そんな相手が欲しかったのだ。



「イカちゃん」は、教師である同居人の、教師になったいきさつや、生徒との不和について聞かされる。また「私の言葉は人を傷つける」と自覚しながら、棘のある物言いをやめられない同居人の罵倒を受けつつ、奔放に暮らしている。さらにそんなイカちゃんを見て、「女の子という存在を初めてかわいいと思えた」という同居人が繰り出すちょっかいにもめげず、楽しそうに生きていく。

イカちゃんの同居人は、自分の尖った言葉に対しもて真摯に向き合い、影で努力するイカちゃんを女の子としてかわいいと思い、また奔放なイカちゃんと暮らすことで、厳しい家で育ったためそれを謳歌することができなかった「大嫌いな青春」に歩み寄る。



「イクラパトラ様」は、同級生とも家族ともうまくいかず、「ここではないどこかに憧れて小四のころに練炭を買った」という同居人が、自分のために作ってくれた椅子を気に入らずに破壊したり、その不出来を叱責したり、なにかと世話を焼かせている。

イクラパトラ様の同居人は、「気難しいイクラパトラ様に気に入ってもらえるアイテムを作ること」が、練炭のことを忘れるくらい「私の全てにな」り、その後イクラパトラ様が去ってしまったことに一旦は絶望するが、「エラそうでワガママで短気で全然優しくない男を選」び、「それでいい、それがいい」と生きている。



同居人たちにとって寿司ガールとは、自分を写す鏡なのだろう。寿司ガールに話すことで自身を再認識したり、寿司ガールたちを見て自身の望んでいることを知ったりというような。だからコハダさんの同居人の元へ、他の寿司ガールではなくコハダさんが現れたのは偶然ではないだろうし、それはイカちゃんもイクラパトラ様も同様だ。

寿司ガールによって同居人が大金持ちになったり超絶美人になったり、そういうことは起こらない。「少しだけ」、人生が変わる。でもそれは、同居人たちにとってなくてはならない「少し」なのだ。たとえば、寿司にワサビが欠かせないみたいに。