ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『うどんの女』という恋の歌

うどんの女 (Feelコミックス)

うどんの女 (Feelコミックス)

日本では昔から、恋心がなにかに託されたり重ねられたりされてきた。たとえば万葉集。

橘の影踏む道の八衢に物をそ思ふ妹に逢はずして/三方沙弥
(あんたに会えないから、橘の影を踏む分かれ道みたいに色々考えちゃうんだよ)
 
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものを/大伴坂上郎女
(夏の野原に姫百合が咲いてたって誰も気付かないみたいに、あたしの恋は届かないからまじ切ない)

なかでも、報われない想いを、すでにそれだけで美しいなにかに重ねることによって、自身のそれを強化したり美化したりする、こういうメンタリティが大好きだ。


さて、えすとえむ先生の『うどんの女(ひと)』。美大生であるキノと、学食で働く村田さん(35歳)の恋を描いたお話だ。

村田さんは毎日素うどんばかり食べるキノのことが、キノはそのうどんを作ってくれる村田さんのことが気になりはじめ、けれど相手のことをなにも知らないふたりは唯一の共通項であるうどんを通じ、その想いを強化していく。キノは村田さんを想いながらキャンバスにうどんを描いたり、村田さんはうどん以外を食べるキノにヤキモキしたり。

35歳のバツイチである村田さんは、若いキノに引け目を感じているし、村田さんの前夫である田中先生の授業を受けているキノは、および腰だ。だからふたりが直接会話をすることはほとんどなく、それぞれのモノローグを頼りにお話は進む。

その彼らのモノローグのなかには、日本の歌(俳句や短歌のことだが、五・七というよりは単に四拍子という意味で)のリズムが散見されるとも言えなくもなくもなくもない。

「この子…私に会うために…!?」(えすとえむ『うどんの女』 P8)
「つーか…このひと俺のこと…!?」(同 P9)
「カンケーないけど…裸エプロン」(同 P16)
「うどん村田の何なんだ…?」(同 P58)
「とろろって…とろろうどんて…」(同 P65)

「やめてよ 恋じゃあるまいし」(同 P110-111)

なにが言いたいのかというと、美しい歌を詠もうとしたときに昔からその題材に恋が選ばれてきたが、育まれるそれよりも、届かないそれ、報われないそれ、耐え忍ぶそれ、世間と関わらない純度の高いそれ、ひっそりとただ想うそれが、より美しいという通念があるのではないかということだ。

「やめてよ、恋じゃあるまいし」という素晴らしいリズムを宿したモノローグと同時に素うどんを挟むキノと村田さん、という構図のコマに花びらが舞っているのは、村田さんが否定してきたキノに対する自分の感情について、ここではじめて当てはめられた「恋」という概念の美しさを表すためだ。

だからそのモノローグは、冒頭で言ったメンタリティにおける審美眼によって「やめてよ」でなくてはならなかったし、年齢や世間を顧みない混じり気のない想いを託すため、挟まれるのは素うどんでなければならなかったのだ。

この場面が『うどんの女』のハイライトであろうし、これが一首の歌だとしたら、「やめてよ 恋じゃあるまいし」が下の句だ。素うどんに舞い落ちる花びらの、なんと美しいことか。


以降、結ばれたふたりのお話が続く。ダイアローグが増え、モノローグは影を潜める。言ってみれば、完成した素うどんに、ふたりで天ぷらやワカメをのせる行程だ。読者はただ、幸せな顔をしてそれを頬張ればいい。