ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『きみの家族』の軽やかな愛情

『きみの家族』では、平山家という家族から、結婚のために姉が、大学進学のために弟が実家を離れていく様子が描かれている。

四人家族の平山家だが、もちろん最初は父と母のふたりだけであり、姉が生まれ三人、弟が生まれ四人とその形を変えていった。そして弟がひとり暮らしを始め、姉が嫁ぎ、見かけ上また父と母のふたりに戻る。

そうして迎えた大晦日、ふたりきりで年越しそばを啜っているさなか、さびしさから涙を流す母に、父はこう語りかける。

これからだよ
きっと一周しただけなんだ
これからまた賑やかになるよ

(サメマチオ『きみの家族』 P144)

ふたりでつくり始めた平山家が「一周して」またふたりきりになってしまい、けれど姉は、嫁いださきで自分の家族をつくり始めた。弟も、いつか自分の家族を持つかもしれない。そして平山家と同じように、ふたりが三人になり、三人が四人になるかもしれない。だから「またこれから賑やかになる」かもしれない。

姉が新しい家族を持ったように、父母がそれを受け入れたように、家族に対する想いを留めずにまわすことで、新しい家族が生まれていく。さびしさを憶えながら、それを祝福できるというのも、家族の側面なのだろう。



では、そういう家族を繋ぐ想いとはなんなのか。姉が結婚式で披露する両親への手紙の内容に悩むシーンに、こんなモノローグが重なっている。

お父さんお母さん私はとても幸せで
辛いことも悲しいこともましてや不平不満など

ありがとう

述べることに葛藤はなく多くもない
たったそれだけを書く事が
どうしてこうも泣いてしまってできないのか

(同 P106-107)

その想いは多くなく、ありがとうというただ一言で、それを伝えることになんの葛藤もない。そういうシンプルな想いで繋がっているから、家族という枠組みはどんな形もフレキシブルに受け入れられるのではないだろうか。

父のように、家族の想いに執着せずそれを回すこと。姉の手紙のように、その想いはシンプルであること。このお話がとても感慨深いのに軽やかなのは、そのあたりが上手に表現されているからだろう。



別の家族にいた君が、ある日僕の家族になって、またある日僕の家族から、新しい誰かの家族が生まれたり。たとえば結婚式で味わうような、よろこびとさびしさが綯交ぜになった爽やか感動が味わえる良作だ。