ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

このマンガがすごい好き!2012

2012年も残り僅かとなりました。今年の漫画を振り返ってまいりましょう。

2012年中に1巻が刊行されたタイトルのなかから、とくに印象に残った作品を10タイトルご紹介です。ちなみに掲載順はランキングではありません。発売日順に並べただけです。順不同。

『空が灰色だから』/阿部共実

空が灰色だから 1 (少年チャンピオン・コミックス)

空が灰色だから 1 (少年チャンピオン・コミックス)

”心がざわつく”オムニバス・ショート集。10代の女子を中心とした、過剰な好きや過剰な嫌いや過剰な悩みや過剰な言葉が、ときに愉快に、ときに恐ろしく、ときに温かく描かれるというバラエティに富んだ作品集だが、どうしてこれを読むと心がざわついてしまうのか。

物語というものの多くは、人々が世界に対して漠然と持つ期待や不安を代弁し、そこに白黒つけるという役割を担っている。でも、この作品はグレーのものをグレーのままで投げつけてくる。白でもなく黒でもない灰色の塊を受け止めた心は、どうにかそこに白黒つけようとざわついてしまうのだ。

しかし、そのざわつきにどこか懐かしさを覚える。彼女たちは過剰なのではない。僕も以前はそうだったように、まっすぐなのだ。そして、物ごとに対して強引に白だ黒だと決めつけて日々をやり過ごすことを覚えた僕は、そのまっすぐな好きや嫌いに怖気づいて、”ざわつく”という言葉でまた白黒つけようと藻掻いている! この作品、大好きで大っ嫌いだ。

(関連記事: 『空が灰色だから』という白でも黒でもない物語

『ラブフロムボーイ』/イシデ電

ラブフロムボーイ(1) (あさひコミックス)

ラブフロムボーイ(1) (あさひコミックス)

主人公ジャン・コーラルの通う学校は、ある問題を抱えていた。もうすぐ10歳になるジャンが、最上級生であること。通う子供たちが15人しかいないこと。もともと小さな村の小さな学校であったそのプルーデンス校には、それでも47人の子供がいたが、となり町にできた「大きなお金がぽんと転がりこむ職業にふさわしい人間を育てる」ための、「とびきり上等の教育をほどこす」というジュリアス校に、半数以上が移ってしまったのだ。学校の外で起こる子供たちの階層的な対立と、プルーデンス校の廃校をめぐる大人たちの対立のなかで、行き場をなくした子供たちが上げた声とは……(表題作「ラブフロムボーイ」)。

ジャン・コーラルが、プルーデンス校にいる(いた)47人の子供を思い浮かべる場面がある。作中において、いい子・悪い子・お兄さん・がき・おりこうさんというような代名詞で語られる子供たちのことを、彼はしっかり名前と顔で思い浮かべる。実際に、47人の子どもが2ページに渡り名前入りで描かれている。その場面を読んで、なんというか、漫画家という代名詞ではないイシデ電先生、そして読者という代名詞ではない僕が、とても意識されたのだ。

表題作を含む4つの短篇が収められたこの作品が、どうしてこんなにも胸に迫ってくるのだろうかと考えて、そういうことを思った。イシデ電先生の描く太い線は、先生と僕、先生とあなた、そして僕とあなたを繋ぐ架け橋だ。

『きみの家族』/サメマチオ

きみの家族 (芳文社コミックス)

きみの家族 (芳文社コミックス)

四人家族の平山家を舞台とし、結婚のために姉が、それから大学進学のために弟が実家を離れていくようすが描かれる。最初は父と母のふたりだけ、姉が生まれ三人、弟が生まれ四人とそのかたちを変えてきた平山家は、また父と母のふたりに戻る。そうして迎えた大晦日、ふたりきりで年越しそばを啜っているさなか、さびしさから涙を流す母に語りかける父の言葉は……。

この物語で姉が新しい家族を持ったように、そして父母がそれを受け入れたように、愛情を与えることや得ることや失うことに執着せずに、つまり家族に対する想いを留めずにまわすことで新しい家族が生まれる。さびしさを覚えながらも、それを心から祝福できるというのも家族の側面なのだろう。

別の家族にいた君が、ある日僕の家族になって、またある日僕の家族から、新しい誰かの家族が生まれたり。たとえば結婚式で味わうような、よろこびとさびしさが綯交ぜになった爽やか感動が味わえる良作。

(関連記事:『きみの家族』の軽やかな愛情

『ぼおるぺん古事記』/こうの史代

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

日本最古の歴史書である『古事記』を描いたこの作品、なにがすばらしいかと言えば。ひとつ、すべての絵がボールペンのみで描かれていること。ひとつ、テキストが原文のまま(漢字かな交じりの書き下し文)であること。

『古事記』というのは、日本最古の神話だから当たり前といえば当たり前だが、これ以上古くなる、風化するということはありえない。それを、日常生活レベルにおいて最も身近で最もスタンダードで、これからも最も使われ続けるであろうボールペンという画材のみで描き、テキストは原文のままで表現した漫画であるこの作品も、きっと風化することはない。

キュートで伸びやかで、ときに残酷に描かれる多様な神々を眺めているだけでも楽しい『ぼおるぺん古事記』、一家に一冊置いておくべき!

(関連記事:『ぼおるぺん古事記』は僕らの古事記

『千年万年りんごの子』/田中相

千年万年りんごの子(1) (KCx)

千年万年りんごの子(1) (KCx)

生まれて間もなく、寺の縁側に捨てられたという過去を持つ雪之丞は、大学を出てすぐに、雪国のりんご農家に婿入りする。慣れない農作業や、田舎の大家族特有の他人との距離の近さに戸惑いながらも、農家の婿としての生活を積み重ねていた。冬のある日、妻の朝日が風邪をひいて寝込んでしまう。そんな彼女にために雪之丞のとったある行動が、妻に、家族に、村に大きな衝撃を与える……。

北の冷たく湿った空気を見事に表現し、同時に雪国の閉じた村という舞台に臨場感を与えているメリハリある陰影を持った絵。自分のルーツから逃げ続け、元捨て子であるという寄る辺のなさをいまだに払拭できない雪之丞は、今度こそ、自分の寄る辺となるであろう朝日を、朝日の寄る辺となりたい自分を諦めるわけにはいかないと、ひとり「村」という因習に抗うことを決意する、という物語。この絵と物語の相性が、とてつもない。

雪之丞は名前を呼ばれるたびに、顔の見えない赤ん坊の入った、雪の中にぽつんと置かれたゆりかごを思い浮かべるという。いつか、その顔が見える日がくるのだろうか。きっとそのほっぺたは真っ赤だろう。りんごみたいに。

『ぼくらのフンカ祭』/真造圭伍

ぼくらのフンカ祭 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)

ぼくらのフンカ祭 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)

活火山の麓に位置する金松町は、火山の噴火と同時に温泉が湧き出たことをきっかけにして、温泉町へと生まれ変わる。「前の静かな町が好きだった」という高校生の富山は、ホテルや観光施設が乱立する金松町を「なんか違う」と感じている。同い年の友人である桜島は、とにかくデカイ事がしたいと思っている。ある日、ふたりはとある計画を実行するため火山へ向かう。浮かれて空回りする町への怒りと、持てあます情熱を胸に。デカイ事をするために……。

この作品のラストシーンには強く強く胸を打たれたが、あの看板を塗り潰した絵は、富山と桜島にしか意味の分からないものだ(もちろん最初から読み通した読者には分かる)。あれが彼ら以外の人にも、あるいは最初から読まずにあのページだけ見た読者にも意味の通じるものだったら、きっと僕の心には響いていない。そこに意味はのったとしても、富山と桜島の想いがのらないからだ。

普遍的な感動は、一般化された常套句ではなく個人的な想いから生じる。作者のあとがきにある「友達にしか分からない言葉、思い出、そういうのを大切にしたいです。」は、そういうことだと思う。

『ひばりの朝』/ヤマシタトモコ

ひばりの朝 1 (Feelコミックス)

ひばりの朝 1 (Feelコミックス)

歳の割に肉感的な体つきをした14歳の少女ひばり。その見た目ゆえに、男性からは濡れた視線を、女性からは尖った視線を向けられるのが常だ。そんな彼女を軸として話は進み、彼女と交差した人物たちが1話ごとにその語り手を担う。「いつもたいせつなものをみのが」してしまう鈍感で無神経な男、「誰かの人生の脇役」は嫌だから常に他人より上にいたい男、「おんなのこ」は「あたしとは違ういきもの」だと、女としての自分の価値を憂う女……。

彼らは、そういった自分のなかの暗い闇から顔だけ出して生きている。ひばりと関わることで、再びその闇に浸かる。だから、ひばりがどこにいるか見えない。ひばりも彼女自身の闇の中にいるのがわからない。わからないから問い詰める。「朝はいつだ?」と。

この作品を読む僕は、登場人物の誰に対しても共感や反感はできない。誰かに共感してしまえば、それは誰かにとっての反感であり、その逆も然りであるから、容易に僕自身の闇に顔を浸けることになってしまう。だから僕も、やはり問うしかない。「朝はいつだ?」と。「2巻はいつだ?」と。

(関連記事:『ひばりの朝』は来るか

『そして、晴れになる』/天堂きりん

そして、晴れになる 1―and it will be sunny (オフィスユーコミックス)

そして、晴れになる 1―and it will be sunny (オフィスユーコミックス)

一話毎に視点を変えて進行する、オムニバスストーリー。ふたりの子供を女手ひとつで育てあげた母、結婚を間近に控える長女、契約社員という微妙な立場に揺れる妹、近所にひとりで暮らす叔母、といった女性たちが登場する。彼女たちは、それぞれの胸にそれぞれの複雑な想いを抱えている。それは、今に対する不安であり、同時に過去に対する葛藤だ。

順調だった若いころと、「ただ人生の幕を閉じていかなきゃならない」今を、晴れていた過去と曇りの今を比べてみたり、両親が離婚していなかったらと、曇りの過去が晴れていたならと思ってみたり、「もしかしたらなんてないのに」とわかっていても、そのもしかしたらに囚われて意地を張り合ってみたり。そうやって各々が不安を抱えながらも、彼女たちは共通の想いを持っている。それは、お互いの幸せを願う想いだ。お互いの明日が晴れればいいなという想いだ。

終わりのない葛藤と暮らしながら、それぞれの未来を想って生きていくという「家族」を描く、息苦しくてハートフルな一冊。

『変身のニュース』/宮崎夏次系

変身のニュース (モーニング KC)

変身のニュース (モーニング KC)

宮崎夏次系『変身のニュース』には、雲になりたいと願う妹とその兄たち、死んだ恋人から送られてくる奇妙なプレゼントを受けとる女性、57回に及ぶ人工臓器の入れ替えで生きながらえながら「パパより先に死なない」という約束を果たそうとする少女、虫垂炎の手術を終えて戻ってきた妻に違和感を拭えない夫といったキャラクターたちが登場する。

彼らはなにかを失ったあとで、あるいはなにかを失いたくなくて、自分を投げ出そうとする。けれど、思いがけない別のなにかによって、思いがけないタイミングで、偶然それを取り戻したりする。不測な世界に振り回されて、なにかを失い自分を投げ出し、世界の奇遇でそれを取り戻す。彼らは、世界に生かされている。

音楽にたとえるならば、彼らは世界というコードのなかで鳴るメロディーだ。和音のなかを彷徨えばいい、望むなら叫べばいい、世界の一部として鳴ればいい。そんなふうに「ここに生かされていること」を肯定する世界と僕らの話。

(関連記事:『変身のニュース』が眩しい理由

『赤パン先生!』/安永知澄

赤パン先生! 1 (ビームコミックス)

赤パン先生! 1 (ビームコミックス)

普段は街の書店に勤めているが、臨時教員として小学校のプールの授業を受け持つ鮎川。赤いブリーフのスイムパンツで授業にのぞむ彼は、生徒たちから親しみ半分揶揄半分で、赤パン先生と呼ばれている。小学4年生の伊倉きらは、赤パン先生にほのかな恋心を抱く。伊倉きらの年の離れた姉であり、中学校の国語教師である伊倉庸子は、妹の思いを知らずに鮎川との距離を縮めてゆく……。

不確かな私とか、思い通りにならない他人とか、知らぬ間に起こってしまうできごととか、子供のころに少しずつ思い知るそういったあれこれが、伊倉きらを中心とした小学生たちを通じ、切なくも瑞々しく描かれる。読み進むうちに(おそらくは作中の大人たちも同様に)「はて?」と思う。大人になった僕は、確かだろうか。他人が思い通りにならないことを理解しているだろうか。大抵のことが知らぬ間に起こってしまうということに寛容だろうか。

かつて子供だったはずの大人たちが、「あの夏の鼓動」とともにそれを思い出すためのほろ苦い物語。


以上10作品でした。

もちろんこれら以外にも素敵な作品は多数ありますが、キリがないので泣く泣く10冊に絞った次第でございます。また、個人的なルールに則り、多数の作家の作品が1冊にまとめられているもの(これは『僕らの漫画』などのことですね)や、エッセイコミック(これは『アヴァール戦記』などのことですね)も泣く泣く選考対象外とさせていただいておりますのでご了承ください。誰に向けて言っているのかよくわかりませんが。

ということで、来年も素敵なマンガに出会えますように。