ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『よつばと!』素晴らしきこの世界

『よつばと!』という漫画を読むとき、僕はなんというか、とても第三者だ。

この作品が成り立っている世界の景色から受ける印象は、僕が見ている現実の世界から受けるそれと同じだ。よつばたちの言動や行動も、僕の暮らす世界で起こり得るできごとの範疇から外れるものではない。

要するに日常ということだが、だからこの作品で描かれる日常は「この作品世界における」という条件を必要とせずに、僕にとっても日常なのだ。



しかし、同じ日常で暮らすよつばと僕は交差しない。僕はよつばの見ている世界とよつばを視ているが、よつばは僕を視ない。

よつばが正面を向いて、つまり読者の方を視て何かを言うという構図が4巻くらいから(たぶん)ほとんど使われていないというやり方は、読者を傍観者せしめている。

また、よつばの見ているものをよつばと同じ視線で、たとえば僕の半分程度の身長であろうよつばから見た低い視線で描かれた景色といった構図も(たぶん)ほとんどなく、だからこの日常によつばとして参加することもできない。



それで僕は、この漫画を読むときに、とても第三者なのだった。『よつばと!』を読んでいると、自分と他人の視線を意識しながら眺める普段のそれとは違う景色が視える気がする。

僕が過ごすそれと同じ日常を、完璧に客観的に眺めるという行為が、この世界の形を再認識させてくれているように思える。

僕にとって、これがこの作品のすばらしさの第一義なのだが。



さて、12巻の話。

そういうわけで、オープニングからその光景のすばらしさに目頭が熱くなってしまい、泣き笑いながら最後まで読み進めたところ、最終ページの最後のコマに、こちらを向いて問いかけているように視えるよつばがいた。

第三者として客観的に眺めるという行為を繰り返すことで、世界をよつばと同じように認識し直した自分に対し、よつばが「世界はすばらしいな?」と改めて問いかけてきているようで、これはもう、涙腺がアレだったわ。ダメだったわ。



ということで、読者に問いかけているように見えなくもない終わりを迎えた『よつばと!』12巻。作品の転換点かもしれないなんて思ったり思わなかったり。