ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『亜人』の顔が見てみたい

亜人(1) (アフタヌーンKC)

亜人(1) (アフタヌーンKC)

ある日突然、死なない生物「亜人」となった17歳の高校生、永井圭。亜人を他国に奪われたくない政府や、懸賞金目当ての一般人からの逃亡劇を軸に、亜人はほんとうに死なないのか、亜人の能力とは、黒い幽霊と呼ばれる亜人の分身のような存在とは、亜人を取り巻く社会とは、といった内容が少しずつ描かれます。

このスリリングかつダイナミックな逃亡劇が、錯綜する情報による読者の混乱や全てを把握できないもどかしさを無理やり抑えこみ、グイグイと読ませてくれます。『進撃の巨人』や『刻刻』などを引き合いに出した言及を幾つか見ましたが、こういった、何だかわからないけれどグイグイ読ませてくれる1巻というあたりも、その理由のひとつかもしれません。『亜人』、面白いと思います。面白そうだと思います。


ところでですね、「亜人とはなにか」というような設定とは別に、ちょっと疑問がありまして。亜人となった永井圭の気持ちの部分なんですが。

トラックに轢かれ亜人となり、当初「なんで・痛い・助けて・どうしよう」と汗や涙に濡れた顔で混乱していた永井圭ですが、1巻の終盤では冷静かつ強い意志のこもった顔つきへと変貌しています。

その時点でトラックに轢かれてから一晩しか経っていないのですが、「人間」を自身とは別のモノを表すための言葉として使う程度に、自分が亜人であることを受け入れています。どうなんでしょう。「国立医学部模試で1ケタの順位」をとる彼ですから、冷静な判断力に対する素養はあったと言えるのかもしれませんが、自分が亜人であることを、たった一晩でこうも受け入れられるものでしょうか。

そう考えたときにですね、日本で2番めの亜人として登場する田中の、恐らく彼が亜人として発見された当初のカルテに載っている穏やかな顔(P103)が、国の研究施設からの逃亡後に見事な悪人面へ変貌している点(P146)が思い浮かびまして。つまり亜人となることによって、その人格にもなんらかの影響があるのだろうと。

永井圭は、トラックに轢かれたのを含めて一晩で3回致命傷を負っています。田中は、研究施設において「人類の…進歩のため」という名目で、銃で頭を撃ち抜かれたり(痛い)特大のネジを胸に打ち込まれたり(痛い痛い)全身をプレス機でゆっくり押し潰されたり(痛い痛い痛い)しています。きっと他にも様々な方法を試されていたでしょう。そういう亜人としての「死なない」体験が、まああたり前かもしれませんが、その回数に比例する影響力で、彼らの人格に作用しているのではと思ったわけです。

そう考えたときにですね、今度は「帽子」と呼ばれる男、佐藤の顔が気になります。田中を研究施設から助け出し、永井圭にも「道を示」すという、なんらかの重要なポジションにいるように見える彼が、常に薄い笑いが張りついた能面のような顔をしていることにも意味があるのではという気がするのです。

そう考えたときにですね、今度は単行本のカバーに描かれている黒い幽霊の顔部分が黒く塗りつぶされていることが気になります。そこには、どんな顔が隠されているのでしょうか。永井圭は、田中のような顔になっていくのでしょうか。田中の顔は、どうなっていくのでしょうか。まあ佐藤に関しては彼が亜人であるという描写がまだないので、もしかしたら『寄生獣』でいうところの広川のような立ち位置という可能せ……いやまあ、その辺は追々ですね。


ということで、情報が足りない歯痒さをバネに書き散らかしましたが、なにが言いたいのかというと、2巻が楽しみという、ただそれだけです。こういう、勢いのある1巻というのはいいですね。ああでもないこうでもないと、思いを巡らせることができて。