ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。主に漫画の感想です。

『もやしもん』のかもし出す笑顔

もやしもん(12) (イブニングKC)

もやしもん(12) (イブニングKC)

たとえば、今の時期なら出勤時に目の端でとらえる桜を、ほんとうは時間をかけて眺めていたいと思うのですが、そうすると遅刻してしまうから、それが続けば解雇されてしまうから、お賃金がもらえなくなってしまうから、生活が破綻してしまうから、そういう理由で桜を眺めていたいという自分の気持ちを納得させて、つまりは自分に嘘をついて、今日も明日も仕事へ向かいます。

大人と子供の違いはなにかと問われれば、そうやって自分に嘘をつけるかどうかだと思っているわけですが。


さて、『もやしもん』12巻。前巻から登場したニューカマー西野円の、酒造である実家の跡取りとしての悩みに端を発する「大人になるってどういう事なんでしょう」という問いを中心としたエピソードが展開されました。

彼女の父による「仲間がいるのか…」や「タンクを倒して……当たったら怪我では済まんぞ」といった台詞に、その答えの一端を見た気もします。冒頭の話で言えば、桜を眺めていたいという思いに対する、俺も一緒に居てやろうという仲間の存在とか、上着を着ないと風邪を引くぞというような気遣いとか。

けれど、犠牲になるであろうなにかを覆う言葉や行動という点で、これらも嘘であり、西野父の「ある酒」に対する製法も、プライドを覆い生活を引き受ける大人としての嘘であり、12巻終盤でのタンクを倒すという行動も、「後の道は地獄」を覆い、それを引き受ける大人としての嘘なのです。

要するに、自分を含めた現状を塗り替える強度を持った言葉や行動で、なにかを捨ててなにかを選ぶという行為を僕は「自分に対する嘘」と呼んでいて、それをできるのが大人なのかなと思っているわけです。選択の良し悪しは知りません。


というようなことを考えながら12巻を読み終えて、ふとこれまでのエピソードを振り返ってみたところ、長谷川遥の結婚問題だったり、マリーのドメーヌ問題だったり、沢木兄弟の跡継ぎ問題だったり、この作品は以前から「大人と子供」をテーマとして扱ってきていたということに気づきました。そして、それらのエピソードは同じ結び方であったということに思いあたりました。

長谷川遥は星空の下の畑道で、マリーは黄金に輝く丘陵で、直保は歓喜のバーボン・ストリートで、みんな笑っていたのです。ついでに言えば、武藤葵が臨んだ農大版オクトーバーフェストの命題は「ビールって何?」であり、その答えは「笑顔が一番似合う飲み物」でした。


「大人って何」という命題に対する答えは、12巻ではまだ出ていません。現在の樹ゼミは、この命題を仕込み終えた打瀬の時期と言えるでしょう。春になって、暖気としての西野円が加わったあとで、大きく育つのではないでしょうか。

今後、作品のなかでどういう答えが出てくるのかわかりませんが、『もやしもん』は笑顔で結ばれる物語です。きっといつか、西野円の晴れやかな笑顔が見られるだろうと思っています。