ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『就職難!! ゾンビ取りガール』のリアリティ

今の子たちはどうなのか知りませんが、僕が学生のころ、テレビゲームや漫画に対する褒め言葉のひとつに、「リアルだ」というのがありまして。

その「リアル」というのは真実性を意識していたわけではなく、単にグラフィックが精細であるとか、非現実的な設定であっても矛盾を感じない安定した世界観とか、そういう意味で「リアルだ」と言っていたわけです。

プレイステーションで発売された、初代の『バイオハザード』についても、現実にゾンビを見たことがある人はいないはずですから、それが本物らしいかどうかなんてわからないわけですが、当時としては精緻なグラフィックと、ゾンビの迫真性に対して「リアルである」という賛辞を送っていました。

また、最近のゾンビ漫画で言えば、花沢健吾先生の『アイアムアヒーロー』なんかは(たぶん)写真を元に描き込まれた緻密な背景や、パニック後のコミュニティやインターネットの描写によって、とても「リアルな」作品になっていると思うのです。



さて、『就職難!! ゾンビ取りガール』です。前述の『アイアムア~』とは絵柄も内容も大きく違います。しかし僕にとっては、とてもリアルに感じられる作品であるわけですが、じゃあどの辺がリアルなの? という話です。

まず、ゾンビが強くないこと。「生前のその人の年齢のままゾンビになる」という設定によって、(人間と同じく強さに個ゾンビ差はありますが)人間を超えた強さのゾンビというのは登場しません。また、そういうゾンビに対する主人公の姿勢が「打倒」ではなく「回収」であることによって、ショットガンのような武器ではなく、アミという器具で立ち向かうことを可能にしています。

カッコイイ動きやポーズに対する、作者のセンスのよさがベースにあるのはもちろんなのですが、そういうルールで描かれたゾンビとのアクションシーンが非常にこう、ギリギリな感じでカッコいいしドキドキします。このドキドキは、ショットガンがあることによる昂揚や、ないことによる絶望といった類のものではなくて、自分にできることとできないことを慎重に取捨選択する、リアルなドキドキなのです。



そしてふたつ目に、女の子の描写の仕方。一般的なゾンビ漫画であれば、大ゴマや断ち切りで描かれるのはゾンビだと思うのですが、この作品では、ぴったりとした作業着の女の子によって大量の紙面が消費されます。

「それはゾンビ漫画としてのリアリティを希薄にしているのではないか」というような声も聞こえてきそうですが、それはあれですよね、ちょっと男子を舐めてますよね。じゃなければカッコつけてますよね。「希薄にしているのではないか」とか言ってカッコつけてますよね。

たとえば、かわいい女の子とふたりでゾンビと戦うことになったとするじゃないですか。生死を賭けた戦いですからもちろん必死にはなりますが、その最中に女の子が前かがみになってブラジャーが見えそうだったら胸元を見ますよね。もちろん必死で戦ってるんですよ? でも「あ、ブラジャー見えた」って思いますよね。ゾンビと必死で戦いながらも「あ、ブラジャー見えた」って思いますよね。で、その戦いを生き残ったとして、後から思い返した時に頭の中に大きく映し出されるのは、ゾンビよりも、戦う女の子の姿とブラジャーじゃないですかね。これはもう、絶対そうだと思うんですけど違いますかね。



つまりこの作品は、こういう強さのゾンビが出てきたからこういう器具が開発されて、それを使う女の子がかわいいしカッコイイという漫画なのですが、描き方としては、かわいい女の子とかカッコイイポーズとか作者の好きなものがまずあって、それを描くためにゾンビの強さや対ゾンビ器具が設定されているのだと思うのです。

けれど、物語における現実的に起きてよいことといけないことと起きなければいけないことへの慎重さと筋道の通し方が優れていて、その上で個人的な好みが描き切られているから僕はリアリティ感じるし、読んでいて気持ちがよいのです。



ということで、ストーリー漫画に対する福満先生のモチベーションが、今どんな感じなのかわかりませんが、ゾンビ漫画という設定上で、先生のカッコイイとかかわいいとか思うものをできるだけ長く読んでいたいなあと考えているのでした。