ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『運命の女の子』の手をとって

赤いぼうしと青いオーバーオールで身を飾る髭の男をあやつりながら、ときおり現れる星を手に入れ、なにものをも寄せつけないキラキラ瞬く体となって、けれど刹那で終わってしまうそのひとときが、ずっと続けばいいのにと、いつもそう思っていた。

さて、ヤマシタトモコ『運命の女の子』。収録されている3つの長編、そのひとつめの「無敵」の話。

 

連続殺人犯と目される16歳の少女と、女性刑事が対峙するサスペンス。その聴取にそって、少女の生活や犯した罪が回想シーンのように挟まれはするが、主たる舞台は取調室に絞られている。息詰まる密室としてのそこが、作品の緊迫感を否が応にも高めている。

その密室で、少女は女性刑事を圧倒する。一般的な市民としての道徳や規範やよろこびやしあわせを身につけて生きてきたであろう刑事は、その範疇から外れる少女の言動や挙動に圧倒される。

少女は、「そのとき」をふり返り、こう語る。

「わたしはわたしのやるべきことを 正しく見つけ すべて正しく行った」と思いました
…あのとき わたしは 自分のことを無敵だと思いました

 

(ヤマシタトモコ『運命の女の子』「無敵」 P7、P71)

少女は、「この経験を経て、よりよい人間として生きてゆけると思います」とも語っている。「よりよい人間」となるために、相容れない人間は手段を問わずに弾きだす。そのために自分の「正しさ」を強く信頼し、常にそれを身にまとう。だから、少女は無敵なのだ。

 

髭の男の、刹那で終わってしまう無敵のひとときがずっと続けばいいのにと、そう思っていた。けれど、あるとき考えた。無敵のまますべてを跳ねのけ、城に囚われる姫のもとへ駆けつけたとして、彼女の身を抱きよせるどころか、手を差し伸べることすらもできないのではないかと。男が無敵ゆえに。

「正しさ」を身にまとう少女も、この先もそうして「よりよい人間」として生きていく限り、もしもその手をとりたいと思う誰かが現れたとしても、それは叶わない。少女が無敵ゆえに。

 

この「無敵」のほか、相対的な位置関係で他人との距離をはかり恋をする男女を描いた「きみはスター」(無敵だけに)、不呪姫としてその存在の意味を問う女の子を救う男の子の冒険(スターで無敵だけに)を描くファンタジー「不呪姫と檻の塔」の2編も収録された『運命の女の子』。

他人との関わりにおける覚悟を描き続け、進化を続けるヤマシタ先生の漫画力がふんだんに味わえる贅沢な一冊。