ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『橙は、半透明に二度寝する』あと5分だけ

少女たちは、少しささくれた線で描かれる。明暗のきわ立つその絵は、一見して版画のような堅い印象を受ける。しかし同時に、どこかやわらかな感触もともなうふしぎな紙面で、物語は進行していく。

幼なじみの首にカミソリの刃を入れる少女。ドキドキしすぎると爆死するという病に侵されながら、好きな男子に告白しようとする少女。度々訪れるエイリアンから町を守る少女。日々巨大化を続ける友人を持ちながら、「私の日常は普通すぎる」と非日常を求める少女。

そんな彼女たちと、彼女たちの暮らすちょっとふしぎな町を描いた短編集『橙は、半透明に二度寝する』。

 

たとえば、巨大化を続ける友人を持ちながらも生活に刺激を求める少女が、エイリアン戦う少女を目の当たりにし、「もう非日常なんて望まない」と怖がるように。たとえば、傷害も密猟も授業中の居眠りも罪である世界だけれど、自販機で拳銃が売られていたりするように。

僕の暮らしている日常と、作中の彼女たちのそれは交差と乖離をくり返す。寄り添ったかと思えば遠ざかる。なんだかおかしな気分になる。まるで夢と現のはざまにいるような。布団のなかで、二度寝、三度寝をくり返しているときのような。

 

この作品のタイトルにある「橙」は町の名前だ。橙町と、そこで暮らす少女たちは、夢と現実を、日常と非日常を行き交う半透明な二度寝をくり返す。

輪郭のあいまいな町に暮らす少女たちは、自分という存在の輪郭もまた、あいまいだと感じている。そのあいまいさが、自分という存在は、そしてこの世界はなんなのかという問いをもたらす。有り体にいえば、橙町と少女たちは思春期をむかえている。

少女たちは、夢見る自分と、夢見られる自分と、現実の自分との差異に戸惑う。自分が日常だと思っていたことが、誰かにとっては非日常だったり、その逆だったりして、だからあいまいになる自分という存在が不安になったり。

 

作中でエイリアンと戦う少女は、彼女の話を「信じる」という少年を「まだエイリアンを見てもいないのに適当な感じで『信じる』なんて言わないで」とつき放す。少年は「それは違うと思うぞ」と語り出す。

「見て」信じたとしたらそれは

「キミの言葉」を信じず「自分の目」を信じたってことだろ?

ただ目の前に起きた出来事を受け入れただけより

キミの言葉から想像し

「心の目」で見た出来事を信じることの方が

本当に信じるってことじゃないのか?

それが「キミを信じる」ってことなんじゃないか?

 

(阿部洋一『橙は、半透明に二度寝する』 P180-181)

半透明な二度寝から「心の目」を覚ますことで、あいまいな自分の輪郭が、たしかに象られていくだろう。あいまいな世界が、現実のものへと移ろっていくだろう。少女たちは、そうして二度寝と目覚めをくり返しながら、それぞれの日常を獲得していくだろう。

あと5分だけ。あと10分だけ。これからもきっと、半透明な思春期をくり返す少女たち。無理に揺りおこしたりはせずに、静かに眺めていたい。