『千年万年りんごの子』という神話に結ばれた約束と果実
生まれてまもなく寺の縁側に捨てられたという過去をもつ雪之丞は、大学を出てすぐに、雪国のりんご農家に婿入りする。慣れない農作業や、田舎特有の他人との距離の近さに戸惑いながらも、農家の婿としての生活を積み重ねていた。
冬のある日、妻の朝日が風邪をひいて寝込んでしまう。そんな彼女に、土着の神として”おぼすな様”と呼ばれる木に実ったりんごを食べさせてしまう雪之丞。
村には、「嫁立て」と呼ばれる十二年に一度の人身供犠があった。おぼすな様のりんごを食べた村の既婚女性のひとりを、おぼすな様が嫁として「連れていく」のだ。あるできごとがきっかけで、その風習は六十年前に絶たれたが、おぼすな様は禁忌として祭られ続けていた。
そのりんごを食べてしまった朝日。彼女が連れていかれることを諦められない雪之丞は、雪国の閉じた村でひとり抗い始める――。
続きを読む『人生は二日だけ』だとしても
よくある自問。「私はなぜ生まれてきたのか」。
思うところはあるのだけれど、ときによって違ったり、ときには複数だったり、これだという答えをまだ見つけられずにいる。思うところはあるのだけれど。
堤谷菜央の初単行本となる『人生は二日だけ』。
月刊COMICリュウの新人コンペ「第12回龍神賞」で、リュウが創刊されて以来初めて「金龍賞」を受賞した作品となったデビュー作「バースデイ」ほか、ある姉弟の暮らす部屋に突然現れた少女との交流を描く表題作「人生は二日だけ」、兄の幽体に手を差し伸べたことから”お兄ちゃん憑き”となった少女を描く「兎の生る木」、”シューカツ”や親の再婚に翻弄される少年と少女を描く「ライトナイトライト」など、全6篇が収録された短編集。
続きを読む『さんかく窓の外側は夜』もふけて
「見ざる聞かざる言わざる」という言葉がある。「自分を惑わすようなもの、あるいは他人の欠点などは、見ない聞かない言わないのが賢明である」という意味で使われるのが一般的なようだ。
僕はこの言葉に対し、もっともだと思う一方で「臭いものに蓋」に似た印象も持っている。自分を惑わすようなもの、あるいは他人の欠点であっても、ときには向き合うことがあってもいいと思うからだ。
続きを読む『町でうわさの天狗の子』を「自分だけは助けてやれる」理由とは
いつもと同じ平素な時間のことを、日常と呼ぶ。その始まりは、とても小さな範囲でしかない。一歩踏み出せば、そこはもう非日常だ。
たとえば母親とふたりでいる空間のような、安心を約束してくれるその小さな小さな日常を拠点として、非日常である外の世界にふれながら、日常と呼ぶことのできる範囲を少しずつ広げていく。通う学校にいる気の置けない友人も、もとは別の日常を拠りどころにしていた他人であり、少しずつ広がるそれぞれの日常を重ね合わせることで、お互いを自身の日常の中に組み入れていくのだ。
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