ホンダナノスキマ

本棚の隙間です。

『無限の住人』で繋がれた願いと右手

19年間に渡って連載されていた『無限の住人』が、30巻をもって完結した。

読者として、24・25巻あたりから結末を強く意識し始め、新しい単行本を読むたびに、この作品はどういう終わりを迎えるのだろうと考えて、いつも同じ結論にたどり着く。

この物語にピリオドを打つためには、万次の生を有限にするしかないんじゃないかと。だから、どんな形かは分からないけれど、きっと彼の命は果てるだろうと、それが『無限の住人』という物語の終着点だろうと、そう予感していたのだが。

結論から言えば、万次の命は果てずに終わった。90年後という未来を、明治という時代を生きている。

なぜ彼は永らえているのだろうか。なにが彼を永らえさせているのだろうか。



90年前、死に瀕する男が万次にこう告げた。

逸刀流 あの夜から わずか三年の我らの軌跡が
やがては全く世になかったことにされてしまうのは
正直無念 無念だ……!
何不自由ない太平の世に
武の隆盛 剣の再生を掲げて暴れた愚か者がいて
彼らの剣によって ほんの僅かでも何かが変わったのか
それを誰かに見届けてほしかった
たとえ十年先 百年先でも それだけが願いだ

(沙村広明『無限の住人』30巻 P205-206)

男に対する万次の答えは、「忘れねェでいてやんよ」だった。



それから90年後、万次は八百比丘尼との会話の中で、「逸刀流」という言葉を90年振りに口にし、「その『逸刀流』の誰かに頼み事をされた気がすんだよ……何を頼まれたんだっけなァ……」と語る。

そして、小指の欠けた自分の右手を見るにつけ、その男の名前を思い出す。万次の右手は、元々はその男のものだったから。

男の名前は、天津影久。頼まれたのは、見届けること。



文字通り「指切り」として交わされたふたりの約束が、不死という肉体を持つものにしか届かない天津の願いと彼の右手が、万次を有限にする道理を撥ねつけ、彼を『無限の住人』として永らえさせていた。

剣に生きて剣に死に、なお剣に生きる男たちの願いと約束をもって、本作は『無限の住人』として見事な結末を迎える。

そして、天津の右手が、凜の子孫の左手と繋がれるというラストシーン……。



ということで、巷では「天津はあのとき死んだのか」といった議論も持ち上がったりしているようですが、どうでしょうかね、彼の子孫が、とか読んでみたい気もしますけどね、どうでしょうかね、彼の生死によりますよね、彼の精子にもよりますよね。ではさようなら。